半目日記

早く全目になりたい

運動音痴と文化部

こんにちは、いつきです。

 

いつきは保育園のときに運動会の練習で、

障害物競走で跳び箱をとぶときに、

とぶのを失敗して顔面から地面に落ちて顔の左側半分がすべてかさぶたになったことがあるのですが、

それ以来運動全般が極端に苦手で、

小学校に上がる以前から生粋の文系女子としての性質を確立していました。

 

跳び箱から落ち、顔面で着地した瞬間からの記憶がなく、

次に記憶があるのは教室で手当されている様子で、

先生はひたすらあわあわして、

「女の子なのにお顔にずっと傷が残ったらどうしよう・・・」

「お母さんになんて説明しよう・・・」

と心配しきりだったのをすごく覚えています。

ですが、子どもの新陳代謝能力の高さは凄まじいので、

たしかそんなに経たずしてわたしの顔面のかさぶたは全て元どおりにはなったのですが、

跳び箱、および運動全般に対しての恐怖心、苦手意識はこの頃にしっかりがっつり培われ、

残念ながらいまでもその傷は少しも癒えていません。

跳び箱こわい。

運動、きらい。

 

そんな生粋文系女子いつきは、

小学校に上がってからは友達が極端にいなくて暇だったので、

小学校三年生から本を読む以外の時間は金管サークルに所属してトランペットを吹いていました。

毎朝、七時半とかから練習していました。

たぶん土日とかもけっこうな頻度で長時間の練習していたと思います。

あんなにも毎日早く起きていたのは、あの時が人生初めてで、そしてもう最後だとおもいます。

 

トランペットというとなんだか派手な印象があるとおもうのですが、

当時吹いていた曲目って、小学校の金管サークルだから

サザエさん

とかなんですよね。

それを一生懸命朝の7時半から練習していました。

もう一回言います、サザエさんを、です。

サザエさんのテーマ曲を、金管サークルでは朝の7時半から、必死に練習していたのです。

 

もう、途中から陽気なサザエさん曲を吹くのが嫌になったいつきは、

いつからか勝手にひとりで、かの有名な曲を耳コピで練習し始めました。

その曲とは、あの、あれの曲です。

天空の城ラピュタ』でパズーが朝に吹いている、

鳥とかワサワサッ、ってなるシーンにパズーが吹いているやつです。

あれ、吹けるようになるとすごく気持ちがいいんですよね。

なんかこう、「朝がきたー!!」って感じがするんですよね。

いつきが吹いてたのは特に朝でもなかったんですけどね。

 

ただ、音楽室(部じゃないので部室じゃなかった)で当時の練習曲目以外の曲は吹くのが憚られるので、

いつきは主にパズー曲(タイトルがわからないのでパズー曲と呼びます)

を練習する時は、神社内で練習していました。

「一軒家の人って家で練習できるからいいよね〜」

とかとマンション暮らしの子に言われたりしていたのですが、

うちは特に一軒家とかではなく神社でしたし、

勿論神社は木造で少しも防音性などない建物だったので、

道行く人はびっくりしていたんじゃないかなあっておもいます。

神社の中からパズー曲が聞こえてくるから。

「・・・一体なんなの・・・?」

ってなっていたんじゃないかっておもいます。

いま考えると。

神社内からトランペット音が聞こえてきたらふつう「何事?」ってなりますよね。

まあもしかしたらパズー曲に合わせてカラスくらいはワサワサ、って飛び立っていたかもしれないですね。

知らないですけどね。

 

そんな感じでいつきは小学校ではずっと金管サークルに所属していて、

運動にはまったく縁がなかったはずなのですが、

理由は全く覚えていないのですが、

何故か五年生のときに一年間だけクラブ活動でバドミントンクラブに所属していました。

なぜバドミントンだったのかは、本当に一ミリも思い出すことができません。

運動は苦手な筈だったのに何故だったのか。

いま思ってもいつきの人生七不思議に入るほどの不思議な選択です。

 

ですがやはり苦手といえど一年続けると、

他の未経験者の方よりは上手になるもののようで、

気付かぬうちに、ある程度のバドミントンスキルはいつきに培われていたみたいなんですよね。

それを思い知ったのははるか数年後、高校時代の体育の時間です。

体育の授業ではいつもなにもできない、

走ることをはじめとした運動全般が全くできないいつきは、

体育の先生の中では「いつき=超絶運動音痴」という認識がなされていたようなのですが(そしてそれはほぼ事実なのですが)、

それはある日、突如異変を見せることになります。

あるとき、授業でバドミントンをやることになったときのことです。

二人一組になり、試合をして勝ち負けを先生のところへ報告しに行くのですが、

先生はわたしが報告しに行く前から「いつきは負け」って思ってるんですけど、

なんなら試合前から成績表に多分「いつきは負け」って書いてたとおもうんですけど、

わたし、未経験者よりは勘があるから勝てちゃうんですよね。

試合が終わったら「わたしが勝ちました」って報告しに行くんですけど、

そしたら先生は

「え?お、おう」

と動揺しつつ答えて、何なら成績表にわたしが行く前から「負け」と書いてたのを書き直す、

くらいの感じだったのですが、

それが二度、三度と続けて「いつきが勝ちました」と報告しに行くものだから、

先生に真顔で

どうした?

と聞かれたのをとても覚えています。

結果、その日はシングルスではクラスで一番になりました。

体育の授業や運動に関することで一番になったのは、

あの時が最初で最後です。

先生は「いつきが一番」ということにものすごくびっくりしていましたが、

同じくらいわたしもびっくりしていました。

 

ただ、いつきはコミュニケーション能力がマイナスなので、

ダブルスではボロカスでした。

一試合目で負けました。

 

 

 

次回予告

「オタクと中二病と美術部」 

わすれものと罰。

こんにちは、いつきです。

 

わたしが小学校四年生の頃、

担任の先生は「たなか先生」

という、女性の、

限りなく「はやく人間になりたい」といった感じの、

当時のわたしからしてみれば「おばあちゃん?」という雰囲気と、見た目のひとでした。

(母は「おいわさんにそっくりだね!」と言っていました)

 

たなか先生は悪い人ではなかったんでしょうけれど、

なにかと配慮のつもりが配慮になっていない人でした。

 

学校って、毎年クラス全員で学級写真とか、撮るじゃないですか。

そしてそれを教室に貼って、

買う人は横にチェックとかするようになってて。

誰が買って誰が買わないとかわかるようになってて。

当然いつき家は貧乏だからそんなのいちいち買わないわけですよ。

そしたらちょっとおだってる(調子乗ってる的な意)系男子が言うんですよね。

いつきが買ってない〜!

的なことを。

いつきは「頼むから黙ってて」とおもうものの、

本を読んでばかりで友達がいないわたしはコミュニケーション能力がマイナスなので、

そんなことを決して口に出すことは出来ないわけです。

そしたらたなか先生は言ってくれたんですよね。

それぞれのご家庭で事情があるから・・・

と。

 

いやいや暗に!

いつきは貧乏だって言ってる!

ていうかあんまり暗でもない!

ほぼ直接的に言ってるー!!!

となった結果、

おだってる系男子に

いつきんちは貧乏なんだ〜〜(ニヤニヤ)

とか追加で言われるわけです。

追い打ちです。

追いダメージです。

「うるさいなその通りだわ!!」

と心の中で死ぬほどおもっても言えないいつきは、

ひたすらうつむいて、本を読んで聞こえないふりをしていました。

ぜんぜん聞こえていましたけどね

 

そしてその同様のやりとりが、

なにかとたびたび起こるわけです。

家庭科の授業でつかう裁縫セットを買うときとか。

学校で斡旋されるやつは高いので、

母みちえがオリジナル裁縫セットを持たせてくれるんですけど、

そういうの(みんなと違う)って、やたらと目立つんですよね。

母が普通に使っている裁ちバサミとかを持たされていたので、

子どもの手にはでかすぎる上目立ちすぎる、という良くない点しかなかったです。

 

 

たなか先生は、先ほどにも書いたように、

「もう少しで人間」という感じの見た目だったのですが、

たなか先生がある日、いつもより人間から遠ざかっていた日がありました。

たなか先生が教室に入ってきた瞬間みんながザワザワして、

「なにかおかしい・・・」

「いつもより変だ・・・」

とみんなでたなか先生の顔をじっと見つめていたとき、

ある子が叫びました。

先生まゆげがない!!!!

と。

それだー!!

となった子どもたちは口々に「まゆげがない!変だ〜〜!!」

と騒ぎ立て、

たなか先生は

「ちょっと待ってて、30秒で戻るから」

と言ってダッシュで教室を後にしました。

30!29!28!27!26!25!

と、クラス全員が謎に一致団結して大声でカウントダウンをし、

たなか先生の帰りを待った思い出。

肝心な、たなか先生が30秒に間に合ったかどうかは覚えていないのですが、

眉毛を描いて戻って来たたなか先生は、

さっきよりはいくらか人間に近付いていたのを覚えています。

 

 

そして、たなか先生は、

なぜか「わすれもの」に対して異様な厳しさを見せる先生で、

わすれものをした授業では教室の後ろに立ったまま授業を受けさせる

という、まるで昭和のようなスタイルを貫く先生でした。

 

立ちっぱなしでの授業。

ノートなんてぜんぜんとれない。

ひとつでもわすれものをしようものなら、生徒が授業を受ける権利はガン無視。

 

体罰というにはちょっとライトな、

なんというか、「ソフト体罰」的なかんじでしょうかね。

きっと、

「立ったまま授業を受けたくなければ忘れ物をするなよ」

という、たなか先生なりの、

わすれもの対策だったんだとおもうんですけど、

わたし、

この頃ほぼ毎日教室の後ろに立ってたんですよね。

 

もちろん、決して立ちたいわけではないんですよ。

授業を受けたくないとかでもないんですよ。

何なら立つのが嫌だから前の日にかばんの中身をきちんとチェックするはずじゃないですか。

それなのに、わたし、ほとんど毎日立ってたんですよね。

 

一体これはどういうわけなんだろうとおもって、

わたしは不思議でたまらなくて、

毎日教室の後ろに立たされながら考えていたんですけど、

ぜんぜん理由がわからないんですよ。

立たされてる人って決してわたし一人だけではなくて、

ほかにも立たされてるひとがいたんですよね。

それも毎回。

ぜったいにわたしのほかにも誰かが立っていました。

いつきはそれまではほとんどわすれものなんてしたことがなくて、

四年生になり、担任がたなか先生になってから突然するようになったんですよね。

あまりにもずっと改善しないので、もう途中からいつきは、

「わたしは必ず一日に一つはわすれものをするという病なのかもしれない」

と本気で考えるほどに毎日わすれものをしては教室の後ろに立たされていました。

 

そして毎日のように立たされ続け、いつきが自分のわすれもの病を受け入れたころ。

五年生に上がって担任が変わり、

べつに忘れ物をしても立たせたりしない普通の先生に変わったとたん、

いつきは、

全くわすれものをしなくなりました

 

・・・あの、教室の後ろに立ち続けた一年間は一体なんだったのか。

 

立たされたくない、

きちんと授業を受けたいとおもっているはずなのに、

ついついわすれものをしてしまう。

 

頭ではよくないこと、とわかっているはずなのに、

ついわすれものをしてしまう。

頭ではわかっている筈なのに、

無意識下でつい良くない方を選んでしまう。

そういうことって、ありますよね。

わたしはこれを、

「たなか現象」

と呼んでいます。

 

いつきは、

誰かに何かをさせないために罰を与えても無意味、

ということを五年生で学習しました。

 

わたしが

「痩せなければ・・・痩せなければいけない・・・」

と思いながらもお菓子を食べるのを全くやめられないのも、

たなか現象だから仕方ないんだとおもいます。

 

誰からも罰を与えられることがなくなった今は、

ただただ自分のわがままの分だけ体重が増える

という残酷すぎる罰がわたしを襲うのみです。

 

 

ああおそろしや、

たなか現象・・・・・・

 

 

 

 

 

みちえという女。

こんにちは。いつきです。

 

いつきの母の話です。

 

わたしの母は、 

「高校の時の地理のテストで『フランス』と書けば満点だったところを、

 『ラランス』と書いてしまったせいで満点を逃した」

という話を何度目であっても初めてみたいに話す人です。

ラランスって、なんなんでしょうかね。

洋梨っぽいですね。

 

 

母の話と言っても、

皆さんそれぞれの家庭で「お母さん」というものについて、

ちょっとしたおもしろエピソードというのはあるものだとおもうので、

うちのみちえのエピソードなんて大したことはないかもしれないですが、

うちのみちえの話も、よろしければ読んでいってください。

 

 

みちえは上記「ラランス」の件からお分かりいただけるとおり、

ちょっとアレなかんじの、

よく言うと天然物なひとです。

 

 

直近の母のエピソードは、

年越しで実家に帰る際迎えに来てもらい、

「お酒を買ってきてって言われてるの!」

と母が言うので帰り道でセブンイレブンに立ち寄り、

お酒を選んでかごに入れ、

「わたし払うからいいよ」

とレジで言うと、

「じゃあお母さんナナコのポイントあるから!その残り払って!」

と言って、

母は店員さんがまだレジを打っている最中から、

お会計中ずっとnanacoカードをレジに押し当て続けていました。

タイミングが早すぎてnanacoカード側もびっくりしていたとおもいます。

店員さんも「え?今?」って顔してた。

みちえは今までずっとnanacoカードを使うときは会計中ずっとカードを押し当て続けてきたのでしょうか。

 

 

そんな感じでみちえには、

「なぜ・・・??」

ということがとてもとても、たくさんあります。

 

 

四年ほどまえ、

みちえは突如としてインターネットを覚え、

コンピューターおばあちゃんさながら、

趣味がインターネット、となりました。

ネットをはじめてすぐの頃、

みちえは「わたし、わかっちゃった」みたいな顔で、

「ねえ・・・『yahoo!JAPAN』があるってことは、『yahoo!世界』もあるってこと?」

とドヤ顔でわたしに言ってきました。

 

・・・yahoo!世界。

 

どんな世界だよ!

とおもわずスタンダード突っ込みを入れたくなりますが、

みちえロジック的には、

「JAPANがあるんだから世界的なやつもあるってわたし気付いちゃった!!」

ということだったのでしょうが、

「世界」は国の名前じゃないし、

「世界」って英語じゃなくて日本語だし。

そんなドヤ顔されても突っ込みどころが多すぎて困るわ、と思いました。

『yahoo!世界』は、ないよ」

と答えた気がするのですが、

あったらみてみたいですね、

yahoo!世界

 

 

そんなみちえが主にネットを使用して何をしていたかというと、

妹のバスケ情報収集、自分の好きな着物のリサイクル品の買い物、そして、

ポイント収集サイトでのポイント集め

でした。

9割がポイント集めだったと思います。

だったというか、母はいまも熱心にポイントを集め続けています。

わたしには母の集めているポイントの仕組みはよくわかりませんが、

そのポイントで弟のお小遣い(Tポイント)は賄われているんだとおもいます。

どうやら毎日たくさん送られてくるメールに書かれたサイトに飛んで、

質問に答えたり、

自分の買い物したものを打ち込んだりしていたようなのですが、

母がパソコンに向かって質問に答えていたとき、

「ねえ、織田信長ってどこで死んだんだっけ?」

と家族に聞いて来て、妹に

一体どういうポイントなの?

と逆に聞かれていたのを思い出します。

 

母はポイント収集に熱心になりすぎて、

妹だったか弟だったかに、

妖怪ポイントババア

というひどいあだ名をつけられるほど毎日のポイント収集に余念がなかったのですが、

その妖怪ぶりを遺憾なく発揮していたのは、

みちえの父(わたしにとって祖父)が亡くなったときです。

長く入院していて、ボケもひどく、

いつどうなるかわからない状態がしばらく続いていた祖父。

亡くなったときは家族で母の故郷まで行って葬儀に参列して、

近くの母の弟宅まで戻ってきた、晩のこと。

疲れた様子の母は、力なく、叔父(母の弟)に言いました。

「ちょっと、パソコン借りていい?」

と。

一体こんな夜にパソコンで何をするのかしらと喪服のままで母の様子を眺めていると・・・

 

そう。

そうです。

 

母は、

借りたパソコンでポイント収集をスタートしたのです。

「ええええ〜〜〜!?!!」

と、わたしほか兄弟は絶叫しました。

あろうことか、

自分の父の葬儀の夜に、ですよ。

こんな晩にポイントためる人いる!??!

と妹に真顔で言われていた母。

マジで妖怪

とも言われていました。

 

本当にあった怖い話です。

 

 

 

そして、別になにもわかっていないくせに、

すぐドヤ顔でわかったふりをしたがるみちえは、

しょっちゅうわかりたがります。

わたしはその場にいなかったのですが、

弟(キャッサバの方)と妹、そして母で

借りぐらしのアリエッティ」を見ていた時のこと。

アリエッティは小人で、そこを大前提として話が進んでいくことは、

予告を見ても、

ストーリーのいちばん最初を見ても、

誰が見ても分かる筈なのですが、

物語ももう中盤、というところになって、

みちえは「お母さんわかっちゃった感」で、言ったそうです。

 

もしかしてこの子・・・・・・小さいんじゃない?

と。

 

 

ええええ〜〜!?!!??

と弟と妹はびっくりしまくり、

もうその後は妹曰く、

「それで全部ぶっ飛んでもうアリエッティどころじゃなくなった」

だそうです。

「まじでありえないッティ

とも言っていました。

皆さんもよろしければ使ってみてください、

まじでありえないッティ。

すごく語呂が悪い〜!

となることうけあいです。

 

 

さていかがでしたでしょうか、

最強母列伝「みちえ。」

文字でみてみるとけっこうやばい感じがしますが、

実際に会ってみてもけっこうやばいです。

ただ、やばさを補ってあまりあるほどかわいいです。

時々イラっとすることもありますがかわいいです。

正直わたしはみちえのかわいらしさがほしいですし、

いまだに父に「お母さんはかわいいなあ」と言われているのがすごくうらやましいです。

 

 

ふたりともかわいすぎるので、

いつか妹と母が二人だけで会話しているところを、

ネット配信したいとおもいました。

 

 

 

 

神社暮らしと初詣

こんにちは、いつきです。

 

もう気づけば今年も一月五日ですね。

世の中は仕事始めだったり、すっかりお正月タイミングを逃し切った感しかありませんが、

「神社に住んでいたとき初詣ってどうしていたんですか?

というせっかくありがたい質問をいただいたので書きたいとおもいます。

 

いつきは人生で二度しか初詣をしたことがありません。

(ちなみに人生二回目を今年してきました)

1度目は2年か3年前くらいで、

年越しの夜中に弟の彼女が「初詣に行こう!!!」と突然言い出して、

兄弟や弟彼女とその友達と、みんなで酔っ払って行ったのでほとんど覚えていません。

初めて行ったのがそのくらいの時期なので、

つまりいつきは神社生活を送っていたときには初詣をしたことは一度もない

ということになります。

 

なぜしなかったのか、というと、

(なぜしなかったのかというより、する理由がなかった、のほうが近い気もしますが)

しなかった理由はいくつかあるとおもうのですが、メインは

「ちょっと親が他宗教を信仰していたので初詣をするという習慣がなかった

というごくごくシンプルすぎる理由が主になります。

ほかの理由としてはやっぱり、

「住んでいるのにわざわざ詣でに行く意味があまりわからない」

とか、

「そもそもどのタイミングが『初』なのかもわからない

とか、

「普段崇めてもいないのに新年になったという理由だけで拝まれる神側の気持ち的にどうなの?『結局俺って元旦に拝まれるだけの都合のいい奴だよな・・・』ってならないの?」

とか、いろいろあったのですが、

今年行ってみて、なんかちゃんとした神社って厳か感があってすごくいいなっておもいました。

 

ちなみにいつき家は元旦には他宗教ながらも元旦行事?祭?があり、

歌ったり踊ったり楽器を演奏したりする祭りを集まって毎年やっていて、

そのあとにみんなで食べたり飲んだりしていたので、

それがいつき家にとっては初詣がわりというか、

「元旦感」「新年感」

を醸し出すのに一役二役買っていたのだとおもいます。

わたしは子どもの頃から「この世に神なんていない・・・」とおもっている子に育ったので、

その元旦の祭りもただただ眠いだけでしたので、

それが終わったあとに食べれるおせち(主にうま煮)だけを楽しみに頑張っていました。

 

 

ちなみに元旦って普通は子どもは楽しみにするじゃないですか、

おとなに「お年玉」ってやつをもらえるから。

 

いつき家にはそのシステム、なかったんですよね。

 

いつき家にない、というか、

ほかの親戚やおとなからもらえても後から全額親に没収される

という全米が涙するレベルの悲しいシステムが採用されていたので、

わたしは子どもなのに、後から親に没収されるから少しも嬉しくなんてないのに、

ほかの子ども同様、お年玉をおとなからもらったら、

ありがとう(笑顔)

と必ず言わなくてはいけないのがとても苦痛でした。

あの当時、子どもにしてぜったいにかなりの演技派でした。

「ありがとう感」、相当出せてたとおもいます。

「ありがたくないよあとからぜんぶとられるんだもんこんなの意味ない!!」

と泣かなかったわたしや弟はすごく偉かったのではないか、とさいきんおもいます。

 

ちなみに、お年玉は現金でもらえないかわりに、

「小学校の学年×千円」、

という金額までのおもちゃを買ってもらうことはできました。

でも、一年生で千円ですし、

六年生になっても六千円ですよ。

 

六 千 円 ・ ・ ・

 

スーファミのソフトだってもっとする時代に、

六 千 円 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

 

ほかの兄弟はそんな少額で何を買っていたのかあまり覚えていないのですが、

わたしはなにかと絵を描く系のおもちゃを買ってもらっていた覚えがあります。

もこもこペン(描いたあとにドライヤーで乾かすとモコモコ立体的になるペン)とか、

プリントゴッコ的なやつとか。

(なにせオタクでしたからね。)

 

そんな感じでいつき家にはクリスマスシステムもお年玉システムもないので、

いつきは冬休み明けに学校のみんなと

「クリスマスプレゼントなにもらった?」

とか、

「お年玉いくらだった?」

とかという会話をするのが、心の底から地獄のような時間でした。

本当に誰にも話しかけないでほしかった。

どっちももらってないよ〜☆

と言えるメンタルはまだ身についていなかったのです。

わかるでしょうか、

子どもが架空のクリスマスプレゼントを答えるきもちと、

架空のお年玉金額を答えるきもちが・・・

 

辛いことしか起こらない時期のため、

わたしはクリスマスを起点とした年末年始がずっと苦手で、

未だにそれを引きずっている感があります。

 

 

・・・しあわせな年末年始がほしい・・・(真顔)

 

 

・・・さて、悲しい話はこのくらいにして、

「初詣に来られる側」

の、神社内の話でもしましょうか・・・

 

 

次回

「神社内は町内会の人の忘年会会場

 

 

 

いつき家の年越し

こんにちは、いつきです。

 

あけましておめでとうございます。

2015年、残りもあと364日ですね。

昨年はわざわざブログをお読みいただきありがとうございました。

最近になり、元々知っている方はもとより、

全く知らない方にも直接お会いした際に

神社ブログ、読んでます

と言われることが多くなりました。

 

・・・神社ブログ。

 

決してブログを始めるときに神社押しでいこうというつもりはなかったのですが、

いつの間にか「神社ブログ」として定着しはじめているようです。

 

ブログのアクセス解析を見るのが趣味なのですが(基本的に根暗です)、

最近はGoogle検索やYahoo検索から来ている方が増えてきています

 

一体どんなワードで検索をかけてお越し頂いているのかまではわからないのですが、

いつき 神社

とか、

神社 ブログ

とかなのでしょうか。

(ちなみにいま試しに「いつき 神社」でgoogle検索をかけたところ、

 普通に1ページ目に出てきました)

インターネットって恐ろしいですね。

 

今年もたくさん更新していきたいと思いますので仕事に飽きた際や寝る前などにお読みいただければ幸いです。

2015年もいつきの人生に苦笑いでお付き合いくださればうれしいです。

よろしくお願いいたします。

 

 

さて、いつき家の年越しの話です。

北海道の家庭は大体みんなそうだとおもいますが、

いつき家は大晦日は決まって(いつき家的に)ごちそうを食べます。

大体は鍋とかお寿司とかオードブルとかがあります。

今回はわたしが仕事だったので家に到着したのが21時くらいだったのですが、

その時卓上に明らかにお寿司が入っていた容器があったのですが、

肝心の中身(お寿司)がひとつも見当たらず、

「ねえ、お寿司は?」

と聞いたところ、

妹に

「安心して、今年は納豆巻きだけだったから

と言われました。

「安心して」、の意味が全くわかりませんでしたので、

「え、じゃあその納豆巻きは?食べたいんだけど・・・」

と再度言うと、弟(タトゥーの方)に

ごめんな

と言われました。

わたしは「全部食べたならせめて容器を隠したらいいのに・・・」とおもいながら割り箸を噛みました。

木の味がしました。

 

いつき家は大体いつき一家七人と、タトゥーの弟の彼女(タトゥーあり)、

そのほか弟(タトゥーの方)の友人カップルがいたりして大層大所帯の年越しを過ごします。

テレビはついているのですが、

ほとんどがクロストークすぎてテレビは時々しか注目されることはありません。

ちなみに大晦日にメインで見ているのはガキの使いです。

 

8人も9人もひとがいると、

会話がひとつになることはなくあちこちで会話がなされまくっているので、

それはそれは大層やかましいです。

前に弟の友人が来た際に、

「札幌なのに田舎の家みたい

と評されたことがあったのですが、すごくよくわかる。

そのお友達は途中で普通に「うるせえな」って言っていましたからね。

わたしもそうおもう。

 

今年は母が「中島みゆきちゃんをみたい!!」と言っていて、

なんどもNHKにチャンネルが変わったりもしていました。

いつき一家は口が悪いので、

EXILEが映った瞬間

「あの服はなんなの?」

五円玉を意識したの?

とかと言われまくっていました。

多分だけど、五円玉を意識はしていないと思う。

関係ないですが紅白は椎名林檎さんが神的にかわいかったです。

 

そんなこんなで食べたり飲んだりしているうちにあっという間に24時になり、

「あけおめ!!」

とみんなで言いあい、

親はその時間で大抵寝てしまうのですが、

いつきとしては年越しはそこからが本番です。

 

これはなぜ生まれた習慣なのかもはや覚えていないのですが、

いつき家は「年越しをした瞬間近くのファミマにアイスを買いにいく」という、

他に聞いたことのない謎の習慣があります。

カウントダウンをして「あけおめことよろー!!」となったらすぐ、

みんなで上着を着込んでアイスを買いに行くのです。

この寒いのになぜわざわざアイスなのか、ちょっと意味がわからないですよね。

最近はみんなの年齢が上がってきたこともあり、

おしるこを欲するひとが現れたりもしているのですが、

基本アイスを買います。

そして元旦でめでたいからといって、けっこう値段を考えずに買います。

そのうちみんなの年齢が上がりきったらアイスを買いにいく習慣からおしるこを買いにいく習慣に変わるのでしょうか。

 

そしてアイスを買ってきてからは、

親が寝静まり、アイスを食べつつごちそうの残りをつまみつつ、

子どもだけのトークになるので、

いつきとしてはその時間が一番楽しい時間です。

今年は妹のことを中学時代からずっとプチストーキングし続けている「ゴリラ(あだ名)」から最近送られてきたメールの話と、

キャッサバの弟のお小遣いの支給方法の話でわたしはお腹いっぱいになりました。

 

ゴリラは本当にしつこく昔から妹にプチストーキングを続けているのですが、

どうしてあんなにも冷たくされ続けてもめげない心を持ち続けられるのでしょうか。

恋愛においてハートが豆腐すぎるわたしには信じられません。

わたしのハートの豆腐具合はすごいですからね。

決して木綿豆腐じゃないですからね。

絹豆腐ですからね。

まあわたしのハートの豆腐の種類はどうでもいいのですが、

ゴリラのすごいところは信じられないくらいつまらないメールを高頻度で送ってくるところです。

たとえば最近だと、

「きのうボーナス出た(笑)」

と送ってきたそうです。

妹はそのメールを見たとき、つまらなすぎて真顔だったと言います。

「ボーナス出たってわざわざ言うってことは何かプレゼントくれるのかなと思ったら、

 『洗剤の詰め合わせとかならあげれる』って言われたんだけどなんなのマジで無理」

と妹は言っていました。

 

洗剤の・・・

詰め合わせ・・・???

 

どうしてなんだ、ゴリラ。

どうして口説きたい女の子にボーナス出たアピールをしておきながら、

贈れるものの限界が洗剤の詰め合わせなんだ。

いや、でもおしゃれ洗剤ならばまだ、と思って妹に言ってみましたが、

「絶対おしゃれなやつとかではない」

と言いながら妹がゴリラの写真を見せてくれたのですが、

きょうだいと弟の彼女含めたみんなで

これは間違いなくゴリラだね

という結論に達したので、たぶんゴリラがくれると言っていたのはアタックとかのことなんだとおもいます。

バナナじゃないだけマシなのかもしれないですね。

 

そしてキャッサバの弟なのですが、

一年生のいまは学業専念のためアルバイトをしておらず、

(一年生の成績で学部が決まるというシステムなんだそうです)

いまはお小遣いで暮らしている状態なのですが、

そのお小遣いの支給方法が

Tポイント支給

なんだそうです。

母がお買い物したりなんだりで貯めたTポイントを毎月弟に支給するシステムらしいのですが、

毎月貯まるポイントが違うのでお小遣いの額が毎月違うと言っていました。

ていうか、

Tポイントって、お小遣いになり得るのか。

母はきょうだいから「妖怪ポイントババア」と呼ばれることもあるほどに、

日々のポイント集めに余念のないひとなのですが、

まさか弟のお小遣いまでポイントで賄っているとは思いませんでしたね。

さすが母。

母は、妹を産んだひとだけあって、

妹以上にレジェンドが多すぎるひとなので、

母の記事も近いうちに書こうと思います。

 

そしてそんなおしゃべりをしているうちに朝方になり、

わたしは元旦も仕事だったのでタクシーを呼んで帰ることにしたのですが、

自宅まで乗ってから財布がないことに気付き、(実家に忘れてきていました)

また実家まで戻って財布を取ってからまた自宅まで乗せてもらう・・・

という、時間もお金も最高に無駄にするツイてなさを新年早々に発揮しました。

大丈夫なのか、わたしの2015年。

 

そんなうっかりすぎるいつきですが、

今年も改めて、よろしくお願いいたします。

 

 

次回予告

神社生活と初詣

いつき家とクリスマス

こんにちは、いつきです。

 

クリスマスがついに、やってきてしまいましたね。

 

いつき家のクリスマスの話です。

 

 

いつきが幼少の頃に、

家族でクリスマスを祝ったという記憶は、全くありません。

両親が

「クリスマス(笑)うちは関係ないし(笑)」

とか全力で言う人たちでしたので、

それは祝われる筈がありませんよね。

 

そして、そのくらいクリスマスに興味ゼロの親の場合、

もちろんうちにサンタさんもやって来ないわけです。

 どれだけこの時期同級生たちが

「サンタさんに何もらうの?」

「サンタさんって本当にいるのかな〜?」

とかという会話をしていても、

全く参加出来ないことはおろか、

すごく小さいうちに「この世にサンタなんていないのに・・・」という異様に冷めた視線を持つ子に育つことになります。

 

弟(タトゥーの方)は

「うちにはサンタさんはこないの?」

と幼少の頃に親に聞いたら

フッ(鼻で笑う)」

とあしらわれたのを「ずっと忘れない」と言っていましたね。

 

別に、クリスマスを祝わないのはいい。

別に、クリスマスはうちには関係ないと言い張るのもいい。

でも、

全子どもの夢サンタさんを奪っちゃいかんだろ

 

弟はそれでもかなり大きくなるまでは毎年クリスマスイブに枕元に靴下を置いておいて待っていたあたり、

とても可愛かったなとおもいます。

(わたしも靴下を置かないまでも、しばらくはどこかで期待していました)

 

いつき家は極貧すぎて神社で生活をしていましたが(詳しくはまえの記事を見てね)、

神社住まいだからクリスマスを祝わないとかというよりは、

親が新興宗教を信仰していたので他宗教行事であるクリスマスを祝う習慣がありませんでした。

 

このあたりは詳しく書くと長いので別のエントリーで書くとしても、

無職の一家を受け入れたり、

別の神様を神社内で祀っていても受け入れてくれるなど、

神社の器がでかすぎるな、と思いますね。

 

いや、でかすぎませんか?

 

神社側の器。

 

もしわたしが神社の神だったら嫌ですよ、

自分の神社内で別の神を祀ってるとか。

「ちょっと〜せめてバレないようにやってよ〜」

って言いますねたぶん。

もしかしたら神社の神って器でかいとかを超越してもはや神なんじゃないか、

って思ったけど既に神だった。

 

そんな親も少しずつ大人になり、

どうやら他の家は本当にみんなクリスマスを祝ってるらしい

ということがわかってくると、

ちょっとずつクリスマス習慣を受け入れるようになっていきました。

年の離れた妹と弟が生まれたあたりには、

そこそこクリスマスらしい催しをするようになっていましたね。

ケーキを作って食べるとか。

あとは・・・ケーキを作って食べるとか。

(大事なことなので二回言いました)

ケーキを作って食べる以外のことをあまり覚えていないのですが、

父がお寿司屋さんでバイト(週4)をしていたので、

そこで余ったのをもらってきた酢飯で作る巻き寿司がメインに食卓に上がっていたような気がしますが、

それはクリスマス以外の時期もいつも一緒でした。

 

妹が保育園に上がってすぐのころ、

クリスマスイブまでに妹が欲しがっているものが用意出来ず(モノが何だったかは忘れました)

「もう一日まってね、サンタより」

という手紙を妹あてにわたしがサンタ風に書いたところ、

「サンタさんからてがみきたーーー!!!!!!!」

と大喜び度MAXになった妹は、

保育園に手紙を持参して先生やお友達たちに自慢して回っていました。

それを知ったわたしは、

「そんなに自慢されるならもっとクオリティの高い手紙にしとくべきだった

という謎の反省をしたことをとても覚えています。

(そして妹はこの頃からあまり変わっていないような気がします)

 

そしてキャッサバの方の弟は、

クリスマスに近いお誕生日なので、

クリスマスにお祝い風のことをやるようになってからも、

もらえるプレゼントの数は一年に一個でした。

これはいつき家に限らず、

多分12月生まれの子の宿命なんだろうとおもいますが、

ちょっとかわいそうですよね。

本当は二個もらえるはずのものが一個しかもらえないなんて。

なのでいつきは大人になってからは、弟にプレゼントを二個あげたりしています。

すみません、ちょっといい人ぶりました。

 

そんな、

家族でのクリスマスには特にすてきな思い出のないいつきですが、

ではおとなになってからのクリスマスにクリスマスらしいすてきな思い出があるか、

というと、

それも特にないとさっき気付いてしまいました。

 

 

ときメモの中ならパラメータさえ上げればパーティーに参加できるのにな。

 

 

そう、ときメモの中なら・・・

 

 

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無職の父と賢者のいつき

こんにちは。いつきです。

 

無職だった父の話です。

 

いつきの父はわたしの記憶のあるいちばん昔から、

もう、既に無職でした。

幼少のいつきは、「お父さん」という生き物は、「家にいるもの」なのだと思っていました。

なんなら、友達の話を聞いて、

「へえ〜〜、◯◯ちゃんのお父さんって、普段おうちにいないんだね!

みたいなくらいに思っていました。

友達側からしてみれば、

「へえ〜、いつきちゃんのお父さんって、普段ずっとおうちにいるんだ・・・」

と思っていたことだとおもいます。

そう、いつきの父はずっと家にいました。

いつきの父は働いていなかったのです。

 

なぜいつき父が働いていなかったのかというと、

それも語ると長いので別のエントリーで書くとして、きょうは

お父さんが無職だった方にはよくおわかりいただけるであろう、

父が無職あるある

をご紹介したいとおもいます。

 

・父が無職あるあるその1、「いつも家にいる。

当然ですが、父が無職の場合、父はやることがないので毎日家にいます。

わたしが学校に行く時も、帰ってきてからも、

残念ながら父はずっと在宅しています。

「ずっと家に居るとか、その間お父さんは何をしているの?」

とか聞かれたこともありますが、

神社付近で攻撃してくる親カラスをなんとかするため子カラスを川に移動させたり、

(くわしくは前の記事をみてみてくださいね)

秋は境内の落ち葉を拾ったり、

冬は参拝路の雪かきとかをしていたり、

主に神社の管理人業務をしていたんだろうとおもうのですが、

具体的に普段父が何をしていたのかわたしはほとんど覚えていないですね。

 

・父が無職あるあるその2、「子どもの歯をやたら抜きたがる。

暇だからなんでしょうけれど、

父が無職だと子どもの乳歯をやたらと抜きたがります。

なんか、子どもが「歯がグラグラしてきたよ〜」と自己申告したら抜きたがる、

とかの領域は超越して、

週に数回は子どもの口を無理矢理開けさせたうえでの、

グラグラしてる歯がないかチェック

という、地獄のような時間があったのです。

万が一発見されようものなら父愛用のペンチでその場で歯を抜かれるため、

子どもたちはそのチェックタイムに怯え、

少しでもグラグラしている歯があろうものなら泣きながら自分で抜いていました。

 

・父が無職あるあるその3、「食べものをもらうことが多い。

無職でそもそもどうやって生計を立てていたのかも未だにいまいちよくわからないのですが、

やたらと食べ物をもらうことが多かったのを覚えています。

魚、とか、野菜、とか、素材そのままでもらうことも多かったのですが、

パンとか和菓子とかもよくもらっていましたね。

それぞれ知り合いがくれいていたと記憶しています。

ちなみに衣類もほとんどもらいものでしたので、

いつきは真っ赤な下着を小学校一年生の時点で所持していました。

 

・父が無職あるあるその4、「薪ストーブは『触ると死ぬ』と脅す。

神社内のいつき一家の居住スペースのストーブは薪ストーブだったのですが、

ストーブ本体そのものがすごく熱くなるので、

子どもにストーブがいかに危険なのかを教えるのが面倒だったからなのでしょうけれど、

ストーブは触ると死ぬから触るな

とよく父に言われていました。

子どもは「さわると死ぬのか・・・」とおもうとやっぱり触らないものです。

かわいくないわたしは、「ほんとに??」となって、

いつか、おそるおそるおもちゃの刀越しに薪ストーブに触ってみたとき、

おもちゃの刀の先端がじゅわっと溶けた(プラスチック製だった)ので、

「ストーブに触ったら、わたしもこうやって、じゅわってなるんだ・・・」

とおもったらこわくて触れませんでした。

ちなみに、うちの薪ストーブは柵?囲い?があって、

無理に触ろうとしなければ触れない安全システムが採用されていましたが、

母方の祖母の家の薪ストーブは何の安全装置もなく丸裸だったので、

この人たちはなんて危険な暮らしをしているんだろう

といつきは常々おもっていましたし、

祖母宅のいとこ達と室内を遊び回るときはいつも気分的には死と隣り合わせでした。

 

・父が無職あるあるその5、「テレビのリモコン代わりに長い木の棒を使う。

いつきが幼い頃、既にリモコン式テレビが当然の時代でしたが、

神社には画面の下にスイッチでチャンネルを変更する仕様のテレビしかありませんでした。

チャンネルを変えるためには直接テレビのスイッチを押す必要があったのですが、

テレビからいちばん遠い位置に「定位置」を置いていた父は、

テレビのチャンネルを変えるためだけに、

すごく長い木の棒を巧みに操作していました。

あれはいま思えばあの棒は長さ的には2mを超えていたのでないでしょうか。

それを両手で持ってチャンネルを変える父。

毎回釣りみたいな絵面になっていたとおもいます。

本当は、長い木の棒さえあれば世の中にリモコンなんて要らないのです。

 

・父が無職あるあるその6、「途中からアルバイトを始める。

きっと「そろそろ限界だな」とおもったのでしょうが、

父はある日からアルバイトを始めました。

週に三日か四日くらい、

夜だけ飲食店で働いていました。

就業形態や勤務日数などに疑問が残るきもちはお察ししますが、

ご安心ください、わたしも疑問でした。

いつきは父がいないと兄弟が家でのびのびできたので、

(というか主に好きなテレビが見れたから)

「父がいない日がもっと増えたらいいのになあ」とおもっていました。

 

 

さて、お届けして参りました、「父が無職あるある。」

みなさんの無職のお父さんには、

いくつ当てはまったでしょうか?

4個以上当てはまった方は、

もう少しで一家に神社に住んでいた可能性がありますね。

 

ちなみにいまは父はギリギリなんとか普通に働き、

結露が酷すぎて、カビだらけで壁が割れ放題の家に住んでいます。

春にはうちの周りだけなぜか雪がぜんぜん溶けないという特徴もあります。

もしかしたら何かしらの呪いがかかっているのかもしれないですね。

 

そうして、父が無職だったせいでいろいろなことがありすぎたり、

「お父さんとお母さんが死んだらお兄ちゃん(知的障害がある)の面倒みてくれよ」

重すぎることを幼少から言われ続けて育ったいつきは、

「わたし、お金、稼ご。」

と思い続けていまに至ります。

 

結局そんなにたくさんのお金はべつに要らないのですが、

普通に暮らしたいと願うレベルはLv95(MAXはLv100)くらいだとおもいます。

いつき的普通の基準ですが、

とりあえず家はお風呂があって、壁が割れ放題ではなくて、

神社以外がいいですね。