半目日記

早く全目になりたい

いつき家とクリスマス

こんにちは、いつきです。

 

クリスマスがついに、やってきてしまいましたね。

 

いつき家のクリスマスの話です。

 

 

いつきが幼少の頃に、

家族でクリスマスを祝ったという記憶は、全くありません。

両親が

「クリスマス(笑)うちは関係ないし(笑)」

とか全力で言う人たちでしたので、

それは祝われる筈がありませんよね。

 

そして、そのくらいクリスマスに興味ゼロの親の場合、

もちろんうちにサンタさんもやって来ないわけです。

 どれだけこの時期同級生たちが

「サンタさんに何もらうの?」

「サンタさんって本当にいるのかな〜?」

とかという会話をしていても、

全く参加出来ないことはおろか、

すごく小さいうちに「この世にサンタなんていないのに・・・」という異様に冷めた視線を持つ子に育つことになります。

 

弟(タトゥーの方)は

「うちにはサンタさんはこないの?」

と幼少の頃に親に聞いたら

フッ(鼻で笑う)」

とあしらわれたのを「ずっと忘れない」と言っていましたね。

 

別に、クリスマスを祝わないのはいい。

別に、クリスマスはうちには関係ないと言い張るのもいい。

でも、

全子どもの夢サンタさんを奪っちゃいかんだろ

 

弟はそれでもかなり大きくなるまでは毎年クリスマスイブに枕元に靴下を置いておいて待っていたあたり、

とても可愛かったなとおもいます。

(わたしも靴下を置かないまでも、しばらくはどこかで期待していました)

 

いつき家は極貧すぎて神社で生活をしていましたが(詳しくはまえの記事を見てね)、

神社住まいだからクリスマスを祝わないとかというよりは、

親が新興宗教を信仰していたので他宗教行事であるクリスマスを祝う習慣がありませんでした。

 

このあたりは詳しく書くと長いので別のエントリーで書くとしても、

無職の一家を受け入れたり、

別の神様を神社内で祀っていても受け入れてくれるなど、

神社の器がでかすぎるな、と思いますね。

 

いや、でかすぎませんか?

 

神社側の器。

 

もしわたしが神社の神だったら嫌ですよ、

自分の神社内で別の神を祀ってるとか。

「ちょっと〜せめてバレないようにやってよ〜」

って言いますねたぶん。

もしかしたら神社の神って器でかいとかを超越してもはや神なんじゃないか、

って思ったけど既に神だった。

 

そんな親も少しずつ大人になり、

どうやら他の家は本当にみんなクリスマスを祝ってるらしい

ということがわかってくると、

ちょっとずつクリスマス習慣を受け入れるようになっていきました。

年の離れた妹と弟が生まれたあたりには、

そこそこクリスマスらしい催しをするようになっていましたね。

ケーキを作って食べるとか。

あとは・・・ケーキを作って食べるとか。

(大事なことなので二回言いました)

ケーキを作って食べる以外のことをあまり覚えていないのですが、

父がお寿司屋さんでバイト(週4)をしていたので、

そこで余ったのをもらってきた酢飯で作る巻き寿司がメインに食卓に上がっていたような気がしますが、

それはクリスマス以外の時期もいつも一緒でした。

 

妹が保育園に上がってすぐのころ、

クリスマスイブまでに妹が欲しがっているものが用意出来ず(モノが何だったかは忘れました)

「もう一日まってね、サンタより」

という手紙を妹あてにわたしがサンタ風に書いたところ、

「サンタさんからてがみきたーーー!!!!!!!」

と大喜び度MAXになった妹は、

保育園に手紙を持参して先生やお友達たちに自慢して回っていました。

それを知ったわたしは、

「そんなに自慢されるならもっとクオリティの高い手紙にしとくべきだった

という謎の反省をしたことをとても覚えています。

(そして妹はこの頃からあまり変わっていないような気がします)

 

そしてキャッサバの方の弟は、

クリスマスに近いお誕生日なので、

クリスマスにお祝い風のことをやるようになってからも、

もらえるプレゼントの数は一年に一個でした。

これはいつき家に限らず、

多分12月生まれの子の宿命なんだろうとおもいますが、

ちょっとかわいそうですよね。

本当は二個もらえるはずのものが一個しかもらえないなんて。

なのでいつきは大人になってからは、弟にプレゼントを二個あげたりしています。

すみません、ちょっといい人ぶりました。

 

そんな、

家族でのクリスマスには特にすてきな思い出のないいつきですが、

ではおとなになってからのクリスマスにクリスマスらしいすてきな思い出があるか、

というと、

それも特にないとさっき気付いてしまいました。

 

 

ときメモの中ならパラメータさえ上げればパーティーに参加できるのにな。

 

 

そう、ときメモの中なら・・・

 

 

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無職の父と賢者のいつき

こんにちは。いつきです。

 

無職だった父の話です。

 

いつきの父はわたしの記憶のあるいちばん昔から、

もう、既に無職でした。

幼少のいつきは、「お父さん」という生き物は、「家にいるもの」なのだと思っていました。

なんなら、友達の話を聞いて、

「へえ〜〜、◯◯ちゃんのお父さんって、普段おうちにいないんだね!

みたいなくらいに思っていました。

友達側からしてみれば、

「へえ〜、いつきちゃんのお父さんって、普段ずっとおうちにいるんだ・・・」

と思っていたことだとおもいます。

そう、いつきの父はずっと家にいました。

いつきの父は働いていなかったのです。

 

なぜいつき父が働いていなかったのかというと、

それも語ると長いので別のエントリーで書くとして、きょうは

お父さんが無職だった方にはよくおわかりいただけるであろう、

父が無職あるある

をご紹介したいとおもいます。

 

・父が無職あるあるその1、「いつも家にいる。

当然ですが、父が無職の場合、父はやることがないので毎日家にいます。

わたしが学校に行く時も、帰ってきてからも、

残念ながら父はずっと在宅しています。

「ずっと家に居るとか、その間お父さんは何をしているの?」

とか聞かれたこともありますが、

神社付近で攻撃してくる親カラスをなんとかするため子カラスを川に移動させたり、

(くわしくは前の記事をみてみてくださいね)

秋は境内の落ち葉を拾ったり、

冬は参拝路の雪かきとかをしていたり、

主に神社の管理人業務をしていたんだろうとおもうのですが、

具体的に普段父が何をしていたのかわたしはほとんど覚えていないですね。

 

・父が無職あるあるその2、「子どもの歯をやたら抜きたがる。

暇だからなんでしょうけれど、

父が無職だと子どもの乳歯をやたらと抜きたがります。

なんか、子どもが「歯がグラグラしてきたよ〜」と自己申告したら抜きたがる、

とかの領域は超越して、

週に数回は子どもの口を無理矢理開けさせたうえでの、

グラグラしてる歯がないかチェック

という、地獄のような時間があったのです。

万が一発見されようものなら父愛用のペンチでその場で歯を抜かれるため、

子どもたちはそのチェックタイムに怯え、

少しでもグラグラしている歯があろうものなら泣きながら自分で抜いていました。

 

・父が無職あるあるその3、「食べものをもらうことが多い。

無職でそもそもどうやって生計を立てていたのかも未だにいまいちよくわからないのですが、

やたらと食べ物をもらうことが多かったのを覚えています。

魚、とか、野菜、とか、素材そのままでもらうことも多かったのですが、

パンとか和菓子とかもよくもらっていましたね。

それぞれ知り合いがくれいていたと記憶しています。

ちなみに衣類もほとんどもらいものでしたので、

いつきは真っ赤な下着を小学校一年生の時点で所持していました。

 

・父が無職あるあるその4、「薪ストーブは『触ると死ぬ』と脅す。

神社内のいつき一家の居住スペースのストーブは薪ストーブだったのですが、

ストーブ本体そのものがすごく熱くなるので、

子どもにストーブがいかに危険なのかを教えるのが面倒だったからなのでしょうけれど、

ストーブは触ると死ぬから触るな

とよく父に言われていました。

子どもは「さわると死ぬのか・・・」とおもうとやっぱり触らないものです。

かわいくないわたしは、「ほんとに??」となって、

いつか、おそるおそるおもちゃの刀越しに薪ストーブに触ってみたとき、

おもちゃの刀の先端がじゅわっと溶けた(プラスチック製だった)ので、

「ストーブに触ったら、わたしもこうやって、じゅわってなるんだ・・・」

とおもったらこわくて触れませんでした。

ちなみに、うちの薪ストーブは柵?囲い?があって、

無理に触ろうとしなければ触れない安全システムが採用されていましたが、

母方の祖母の家の薪ストーブは何の安全装置もなく丸裸だったので、

この人たちはなんて危険な暮らしをしているんだろう

といつきは常々おもっていましたし、

祖母宅のいとこ達と室内を遊び回るときはいつも気分的には死と隣り合わせでした。

 

・父が無職あるあるその5、「テレビのリモコン代わりに長い木の棒を使う。

いつきが幼い頃、既にリモコン式テレビが当然の時代でしたが、

神社には画面の下にスイッチでチャンネルを変更する仕様のテレビしかありませんでした。

チャンネルを変えるためには直接テレビのスイッチを押す必要があったのですが、

テレビからいちばん遠い位置に「定位置」を置いていた父は、

テレビのチャンネルを変えるためだけに、

すごく長い木の棒を巧みに操作していました。

あれはいま思えばあの棒は長さ的には2mを超えていたのでないでしょうか。

それを両手で持ってチャンネルを変える父。

毎回釣りみたいな絵面になっていたとおもいます。

本当は、長い木の棒さえあれば世の中にリモコンなんて要らないのです。

 

・父が無職あるあるその6、「途中からアルバイトを始める。

きっと「そろそろ限界だな」とおもったのでしょうが、

父はある日からアルバイトを始めました。

週に三日か四日くらい、

夜だけ飲食店で働いていました。

就業形態や勤務日数などに疑問が残るきもちはお察ししますが、

ご安心ください、わたしも疑問でした。

いつきは父がいないと兄弟が家でのびのびできたので、

(というか主に好きなテレビが見れたから)

「父がいない日がもっと増えたらいいのになあ」とおもっていました。

 

 

さて、お届けして参りました、「父が無職あるある。」

みなさんの無職のお父さんには、

いくつ当てはまったでしょうか?

4個以上当てはまった方は、

もう少しで一家に神社に住んでいた可能性がありますね。

 

ちなみにいまは父はギリギリなんとか普通に働き、

結露が酷すぎて、カビだらけで壁が割れ放題の家に住んでいます。

春にはうちの周りだけなぜか雪がぜんぜん溶けないという特徴もあります。

もしかしたら何かしらの呪いがかかっているのかもしれないですね。

 

そうして、父が無職だったせいでいろいろなことがありすぎたり、

「お父さんとお母さんが死んだらお兄ちゃん(知的障害がある)の面倒みてくれよ」

重すぎることを幼少から言われ続けて育ったいつきは、

「わたし、お金、稼ご。」

と思い続けていまに至ります。

 

結局そんなにたくさんのお金はべつに要らないのですが、

普通に暮らしたいと願うレベルはLv95(MAXはLv100)くらいだとおもいます。

いつき的普通の基準ですが、

とりあえず家はお風呂があって、壁が割れ放題ではなくて、

神社以外がいいですね。

 

 

 

妹の名前はわたしがつけました。

こんにちは、いつきです。

 

五人兄弟の上から四番目、

わたしの妹の話です。

 

妹は現在20歳で、大学で看護師になるためお勉強中の学生です。

下記の写真をご覧頂いて分かる通り、看護の道を志す真面目な若者です。

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妹。(20歳)

 

この写真がある日突然「USJなう」との言葉とともに送られてきたのですが、

ちょっと意味がぜんぜんわからなかったですね。

まずポージングが意味不明だし、

東京」ってでかでかとTシャツに書いてあるけどUSJだって言ってるし。

わたしは尖っています」ということなのでしょうか。

 

妹がうまれたときは、わたしは小学校三年生とかで、

まだぜんぜん小さかったのに妹の面倒をよくみていたのですが、

(年子で弟が生まれたこともあり母の手が足りなかった)

抱っこしてる時にうっかり落としてしまったことや、

祖母のおうちにいるときに、

まだ妹がハイハイしか出来なかったので階段は怖がって降りないだろう、とおもって二階に置いてきたら

ゴロンゴロンゴロンゴロンゴロン、ビタンッ

とすごい音がして、「何事?!」と思ったら次の瞬間

「ギャーーーーーーー」

と泣き声が聞こえてきて、

あわてて階段を見に行ったら妹がハイハイの姿勢のまま階段の下に落ちていたり、(でも妹は無傷でした)

という、

わたしが小さかったゆえのお世話時のうっかり、がいろいろあったのですが、

未だに妹はそれを責めてきます。

「お姉ちゃんは赤ちゃんのあたしのこと落としたじゃん!!!!」

って時々昔話になると言ってきます。

ごめんね本当にごめん、でも、

小学校のときの過失をいま責めないで!ってなります。

階段からハイハイの姿勢のまま落ちた妹はしばらく階段がトラウマだったようで、

歩けるようになってからもしばらくはまったく自分で降りられなかったり、

一段一段座りながらでないと降りられなかったりしていたのですが、

その姿はとってもかわいそうだけど可愛かったです。

 

妹はキャッサバの方の弟とも私とも違って一切本を読まない子で、

小学校3年生くらいからずっとバスケをやっていて、

高校では女子バスケ部のキャプテンをするくらいのバスケ好きでした。

 

身長はでかい(わたしと同じ167cmです)し、

なんかずっとバスケをしていたせいか体格もよくって、 

普通に立ってるだけでバスケのコートの中にいるみたいに見えるのですが、

すごくアホで、めちゃくちゃかわいいのです。

 

先日は

「バイト先(うどん屋)でごまを地面に大量にばらまいてしまって申し訳なさすぎて辞めようかと思った

とか言っていましたね。

ごまくらいでバイトは辞めなくていいんだよ。

 

バスケ部で鍛えてたから効果的な腹筋の方法を聞こうとおもって、

「腹筋ってどうやるの?」とLINEできいたら

「???腹筋は、おなかをのばしたりたたんだりするんだよ」

と返信がきたこともありました。

腹筋のやり方をきいたのに、妹は、なぜか腹筋の役割を教えてくれました。

 

大学に入ってすぐは友達がぜんぜん出来ない、

という相談を受けていたのですが、

西野カナに共感するとかマジで意味わかんないんだけど・・・」

というよくわからない落ち込み方をしていたり、

かっさにハマって内出血がすごすぎる写メを送ってきて、

「これを続けるとセルライトが消えるんだってー!!!」

と喜んでいたのですが、写メの内出血の量が尋常じゃなかったので

セルライトが消える前に体によくない異変が起こるのでは?

とわたしに心配されても聞く耳を持たなかったりする妹。

 

最近だと、妹の大学は関西で普段は寮生活なのですが、

寮母が嫌すぎて一人暮らしをしたいという話を延々としてて、

「実習中とかバイトするのも大変だよ生活大変すぎるよ」

と説得を試みたのですが、(もちろん極貧の親から補助が出るという発想はありません)

「テレビが部屋で見れないからみんなで見るやつ一個しかないのにそれを見ようと思ったら申請が三日前じゃないとダメとか無理」

と言っていて、

「テレビを見るのに申請が要るの?なんのための三日前なの・・・?」

と聞いたら

「しらねーよ!スマスマ見たいと思ったら申請金曜日とか早すぎるだろ!!!」

と正当なのか理不尽なのかよくわからないことにとても怒っていました。

まあ、三日前は早いですよね。

 

それ以外にも寮母がクレイジートークをしょっちゅう聞かされており、

(整理整頓がなされているかチェック、という理由で部屋に勝手に入ってくる、長期休暇始まりの頃学校でまだ試験が残っていても寮を閉める、ドライヤーがうるさいという理由でお風呂に入れる制限時間を門限ギリギリの時間にされるなど)

まあ仕方ないかな、とも思う理由は多々あり、

妹は大学二年目の冬にして一人暮らしをすることになりました。

手続き関係でわからなかったのでしょうが、

シャチハタ以外の印鑑って何?

とかと聞いてくる妹が、きちんと一人暮らし出来るのか、姉はとても心配です

 

 

 

 

いつき五人兄弟

こんにちは、いつきです。

 

いつきは神社の中で、五人兄弟の七人家族という大所帯で育ちました。

毎日それはそれはすごい人口密度の中で寝ていました。

毎晩雑魚寝。

 

わたしが頼りないからなのか、わがままそうに見えるのからなのか、

あまり親しくないひとには、よく

「末っ子?」

とかと聞かれたりするのですが、

残念ながらいつきは五人兄弟の上から二番目です。

なんなら上は兄なので長女です。

もっと言えば兄は知的障害があるので実質わたしがいちばん上みたいなものです。

それなのに「お姉ちゃんっぽいね」と言われることはほぼありません。

なんだか残念ですね。

 

わたしは五人兄弟なんです、というと、

絶対に「多いね!」と言われるので、

いかにこのご時世に五人兄弟が存在しないか、

ということを実感しながら29年間を過ごしてきたのですが、

本当に、五人も居ると、いろいろと社会側が想定外なんですよね。

あちこちに提出する書類に兄弟の欄が足りなかったりとか。

まず人生ゲーム(ボード版)で考えてみても、

想定されているMAXの子どもの数は四人ですからね。

末っ子は車にすごくおかしな乗り方をすることになりますからね。

おなじ現象がいつき家でも起こっており、

いちばん末っ子の弟は神社から引っ越して4LDKの家になってからも、

自分の部屋がなかったので廊下で体育座りで本を読んで過ごしている子になりました。

大家族の弊害。

 

兄弟は上から順に男、女、男、女、男、

という完璧すぎる生み分けがなされていたせいで、

よくひとに

「どうやったの?」

とか、

「お父さんお母さん頑張ったね(下衆顔で)」

とか言われたりするんですけど、

わたしは生み分け方法に関しては少しも分からないですし、

まあ貧乏人の子沢山的なことですよねっておもいますし、

頑張ったねの言葉も両親に直接掛けてあげてっておもっていたんですけど、

この年になってくると、

いかにそんなにずっと仲がいい(夜的な意味で)ことが奇跡的か、

ということが分かったりもしてくるので、

まあ仲がいいのはいいことなのかもしれないね、とも思うようになりました。

 

子どもの頃は五人兄弟ですと言うのが恥ずかしかったりもしたのですが、

いまは全くなくなりましたね。

両親は元気だったんだなとは思いますけどね。

あと、五人も兄弟がいるなんてお金持ちなんだねとか言われることもありますけど、

全然逆で極貧すぎて神社に住んでましたからね。

 

同じ親から生まれ育っても、

五人も居るとそれぞれが好きなものとかが全然違うので、

やっぱり生まれ持った資質って大きいんだなあ、

って、兄弟を見ているとおもいます。

 

それぞれを簡単に紹介すると、

兄(31)はカウントが難しいですけど異様なテレビ好き、

わたし(29)は作家を目指しながらネイルで自営業、

弟(27)はわかりやすくグレたので全身タトゥーだらけでピアスが空きまくりのフリーター、

妹(20)は看護師になるため大学に在学中、

弟(19)はキャッサバの研究をするために国立大学に在学中、

という状況となっております。

 

ちょっと弟二人の落差がだいぶ開きのある感じになっていますね。

タトゥーの方の弟は、

かなり気合いの入ったタトゥーの入れ方をしてるので、

(肩から始まったのがいまは手の甲まできてます)

親戚の葬儀の時とか隠し切れなくて困っていたり、

耳に空いた穴が大きすぎたりしているんですけど、

同じような見た目の彼女とかなり長く同棲していて、

一緒に古い家具をリメイクしたり海外のアンティーク系おもちゃを集めたりしてて、

すっごく仲が良くて羨ましい限りです。

 

一方キャッサバの方の弟は、

廊下で本を読み続けていたからか、

世間知らずだったあまり大卒でブラックすぎる企業に就職してしまったわたしに

やりたいことがないなら選択肢の多い国立大学に行きなさい

と週に五回は真顔で言われ続けていたせいなのかはわかりませんが、

やりたいことがないと言いながらも頭のよい高校に行き、

大学も、塾や学校で勉強はしても家で一切勉強はしないというスタイルで国立大学に一発合格するほどの、

ちょっと五番目にして初めて勉強の出来る子に仕上がりました。

大学の合格発表時に、合格祝いでお茶をして、

大学ではなにを勉強したいのか聞いたとき、

私「よかったね!大学ではなにをお勉強するのー?」

弟「・・・キャッサバって分かる?」

私「え?なに?鯖?」

弟「イモ

私「いも・・・」

弟「キャッサバって、すごく暖かい地方で育つ芋で、あまり雨とか降らない地域でも遺伝子組み替えで同じ環境下でも収穫出来る量が全然違うっていう研究にすごく可能性と魅力を感じたの」

私「・・・そうなんだ・・・」

というすごく頭の悪い会話をしたのが鮮明に思い出されます。

 

そしてその会話の直後に弟に

「お姉ちゃんはずっと僕の心配をしてくれてたけど、お姉ちゃんは大丈夫なの?男性関係の方は

と真顔で言われた話はまた別のエントリーで書くとして、

看護師になるための勉強中の妹は、

すごくすごくアホで可愛くて、

最近のエピソードだと

「住民票って賞味期限みたいのある?」

とLINEできいてきたりする天然すぎる妹、

および天然すぎる母について次回は書きたいとおもいます。

炸裂する妹愛。

そして母へのdis。

 

ちなみに上記のLINEには

「賞味期限に関して言うと、ないよ」

と返信しました。

初恋はときめきメモリアルの中に。

こんにちは、いつきです。

 

極貧神社暮らしでいじめられっ子だったいつきは、

自分には恋などというものは生涯無縁であるとおもっていました。

恋どころか友人がいませんでしたからね。

恋愛なんてちょっとした都市伝説くらいにおもっていた節もあります。

 

だって、同級生の立場になって考えてみてください。

神社に住んでいて見た目も貧乏っぽくてほぼ誰とも会話せず本ばかり読んでいる女子ですよ。

(いま思い出しましたがこの頃はまだアトピーもとても酷かった)

総合的に考えて、小学生からしてみたら、普通に気持ち悪いですよね。

そりゃーいじめられるよね、とおもいます。

 

そんないつきが本を読み漁り、

友人であるなちこに出会い大量の漫画を読むようになり、

正真正銘のオタクになり始めたときに、

なちこが貸してくれた、『ときめきメモリアル』によっていつきの恋愛スキルは培われました。

 

ときめきメモリアル』なるゲームをご存知でしょうか?

 〜「ときメモ」こと、ときめきメモリアルとは〜

高校生活三年間を過ごしつつ、

数値化された自分のパラメータ(容姿、運動能力、勉強能力、芸術知識、雑学知識、根性など)を上げながら、

自分が狙った女の子の理想の男性になっていき、デート等で好感度を上げ、

最終的には卒業式の日に女の子から告白されるのを目標とするゲームです。

さらりと説明してみましたけどすごいシステムですね。

この頃にはまだゲームのジャンルとしてこういう恋愛シミュレーションというジャンルがなかったので、

ときメモがこのジャンルの走りだったのです。

システムの凝り具合も楽しさも女の子のキャラもときメモが圧倒的ナンバーワンでした。

KONAMIさんは神。

 

ときメモのシステムの話に戻りますが、

ときメモの中では平日に本を読んだり運動を部活動をしたりしてパラメータを上げて、

日曜日には女の子に電話を掛けてデートの約束を取り付けたり、

女の子とデートしたりすることが出来るのですが、

女の子は仲良くならないうちはまずデートに来てくれないんですよね。

あと、デートに誘う場所も選べるんですけど、

好感度が低い時は相手の好みの場所を選ばないと来てくれない。

そこで相手の好感度を上げるためにはデートをして、

三択式の会話から彼女の気に入りそうな会話をチョイスすることがマストなんですけど、

まずはデートに来てもらわないといけないので、

徹底的に自分のパラメータを上げ、

学校のイベント(体育祭や文化祭など)で活躍し、

休日には電話を掛けまくり、

とにかくデートに漕ぎ着ける

ということが重要になってきます。

 

お気に入りの女の子とデートをするために自分のパラメータ上げに必死になる。

現実で男子とやれよと思う気持ちはわかりますよ、

わかりますけどわたしは神社に住んでいるのでそんなことは不可能だったわけです!!(大声)

 

ときメモの中にはそれはそれはかわいい女の子(いつき基準)がたくさん出てくるんですけど、

ラスボスと呼ばれた詩織ちゃんがやはりときメモを代表する女子でしょう。

詩織ちゃんは主人公と幼なじみでありながら、

「容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、きらめき高校のスーパーアイドル」(Wikipediaより)

というスーパーハイスペックだったので、

自分自身も三年間のうちにかなりのハイスペックにならないと全然告白しに来てくれないのです。

三年間という限られた条件下で上げられるパラメータには限界がある、

となると、詩織ちゃんの好感度を上げるためにどうなることが必要かというと、

「デートの三択式会話が達人級になる」

という現実世界ではあり得ないスキルが上がってくる訳です。

 

ときメモのデートのシステムは、

まず日曜日に彼女の好きそうな場所にデートに誘い、

当日にデート場所に行き、

彼女が話し掛けてきた内容に何と返すかを三択から選ぶか、

デート中に何と話し掛けるかの三択から会話を選び、

それで彼女がいちばん好感度を持ってくれる会話だと彼女がばっちり好印象を抱いてくれてデートは終了となります。

好印象を抱いてくれたかどうかは帰りの女の子の台詞でわかります。

「今日はすっごく楽しかった!また誘ってね!」

的なことを言われるか、

「今日って、何だったのかな・・・」

的なことを言われるか。

女の子って残酷ですね。

 

いつきはデート前にデータをセーブしておき、

彼女の印象が良くなければデート後リセットしてデートをやり直す

という手法をよく用いていたんですけど、

続けていくうちにわかってくるんですよね、

彼女がどの会話を最高に喜んで好印象を抱いてくれるのか。

 

詩織ちゃんは前述したとおりラスボスと呼ばれた女。

メインヒロインでありながらいちばん難易度の高い女子だったので、

詩織ちゃんを落とす(ときメモ界隈では卒業式に告白されることを指します)ことが出来れば他の女子なんて容易いものでした。

 

詩織ちゃん以外にも、

文系眼鏡女子、野球部マネージャー系女子、セクシー系女子など色々な女子がいたのですが、

その女子たちが、

どんな男が理想で。

どんな場所が好きで。

どんな会話が好きで。

ということが、いつきにはほぼ瞬時に察することが出来るようになり、

デートの場所選びもデートの三択式会話も迷わずいちばん好印象のものを選べるようになったことで、

わたしは一緒になって家でときメモをやっていた弟から

「マスター」の称号を得ていました。

 

女の子の好感度がどんどん上がっていき、

女の子の方からもデートのお誘いの電話がかかってきたりするようになると、

付き合う前のギリギリの雰囲気なんかも楽しむことが出来たのですが、

二人の雰囲気がそうなってくるとお目当てのデート場所の帰りに、女の子から

「他にもどこかに寄って行かない?」

と誘われて喫茶店とかに行くことができました。

 

自分が誘ったデート場所以外に女子から誘ってくれる。

そして嬉しそうにお茶を飲んでいる女の子はとても可愛くて。

それは、すごくすごく、嬉しい時間で。

恋してるなって、感じていました。(画面を見つめながら)

 

そして、恋に無縁のいつきはときメモの中で、

盛り上がったデートには二次会があるんだ、ということを知ったのでした。

 

 

 

 

いつき、オタクになる。

こんにちは、いつきです。

 

小学校時代の話です。

極貧すぎるうえ神社で暮らしていたいつきは、

当然のように学校でいじめられたので、

友達はほとんどいませんでした。

(わたしの低コミュニケーションスキルはその時代に培われたままほぼ進化していません)

「人というのは基本的にわたしを嫌いだし傷付ける生き物なんだ。」

と学習してしまい、それがほぼ更新されないまま29歳になってしまいました。

それは、モテない筈ですね。

 

友達がいないいつきは、

毎日図書館に通っては本を二冊とか借りては、

その日のうちに読み終え、

翌日また二冊借りてその日じゅうに読み終えて・・・

というのをずーっと繰り返している小学校低学年時代でした。

本の虫というか、図書館っ子すぎて、

図書カードの貸出欄があっという間に埋まったし、

新書とかだいたい把握していましたし、

学校の図書館では物足りなくて休日は中央図書館までお出かけするのが好きでしたし、

大人しか読んじゃいけないゾーンの本もこっそり読んでいましたし、

おかげで友達はいないけど他の子よりも大人の世界を知っている子どもだった気がします。

本を読み始めた最初からずーっと、

好きな本は『かいけつゾロリ』シリーズでした。

原ゆたか先生は神。

 

遊ぶ友達がいないので、

近所の児童会館に行ってはそこの図書館にこもる

ということもしていました。

そこにあった漫画は多分、全部読んでいました。

いつきは『お父さんは心配症』が大好きで繰り返し読んでいました。

岡田あーみん先生は神。

 

小学校高学年になると、

同じクラスで「なちこ(仮名)」というお友達ができたので、

おうちに遊びに行かせてもらうことが多かったのですが、

たぶんいま思えばなちこ家はセレブだったんでしょうね。

なちこのおうちには膨大な量の漫画がありました。

そこで漫画をしょっちゅう貸してもらうようになってからです。

いつきがオタクになっていったのは。

 

なんでなんでしょうね、

ただただ、たくさん小説を読んでいるときには、

多分そんなに、そうでもなかったと思うんですけど、

漫画をたくさん読み、

漫画の世界に傾倒し、

漫画好きな友達が出来始め、

エヴァ(主に綾波)のイラストとかを描いてみたりするようになると、

次第に喋り方とか動きとかがオタク特有のものになってくるんですよね。

あの頃は本当に「グフフ」って笑っていたとおもう。

(いまでもテンションが高くなると動きがオタクになるね、と友達に笑われます)

 

そんな感じで、小学校の最後の方には、

いつきは図書館に通う頻度はどんどん少なくなっていき、

主になちこに借りた漫画と、

ブックオフの立ち読みで「読書欲」を満たし、

オタク友達とグフグフと漫画の感想や、

好きなミュージシャン(この頃はTMRがわたしのアイドルでした)について

萌え語りをしたりする日々を送るようになっていました。

 

一方、わたしは小説や漫画を読めば読むほど内側から滲み出てくる

「文章を書きたい欲」

が日々沸き上がってきては、熱を止めることが出来ず、

小学校の高学年には熱量の赴くままに自分でノートに小説を書き綴っていました。

その頃にはもう既に暗い作風でした。

漫画を大量に読み始めて小説を読まなくなったから、

というのも、小説を読まなくなった理由の一つだったんですけど、

小学校の時点で「他の文章に影響されるのが嫌だ」と思って読むのをやめた、

というのもすごく大きい理由でした。

 

なのでこの頃のわたしは漫画を大量に読みつつ自分で小説を書く・・・

ということが、既に自分の中のライフワークになっていました。

狭すぎる神社生活では親に小説を書いていることを絶対に知られたくないので、

わたしの部屋が絶対に必要だったというのもあって、

無理矢理にでも自分の部屋を作った、というのも、ありましたね。

 

そうして無理矢理手に入れた部屋で自分でイラストや小説を書いていたわたしは、

オタク友達と協力し合って、

いわゆる同人誌を作ってはイベントで販売してみたりしていました。

 

そしてそうやってオタクの世界にどっぷり浸かっていくことで、

いつきは身に染みて知っていったんですよね。

オタクというのがどれだけスクールカーストの最下層であるかを。

 

いじめられっ子からオタクにジョブチェンジしたところで、

別にカーストの最下層を右から左に移動したくらいで、

上下関係には微塵も影響はしませんでした。

カーストの最上位には眩しいほどイケてる人たちが君臨していたし、

男子というのはただただ遠くから薄目で眺める存在でした。

(この頃から眼鏡男子が好きという男性のタイプも変化していません)

 

恋なんて、いつきには永久に訪れないと思っていた。

わたしを誰かが好きになってくれることなんて、

これから先ずっと、永遠にないと思っていた。(いまもそれは思ってるけど)

 

でも、そんなとき、

なちこが貸してくれたゲームの中で、

いつきは初めての恋を、見つけたのです。

 

 

 

 

次回予告

『初恋はときめきメモリアルの中に。』

 

 

 

 

 

育ったのはラブホテル街「中の島」。

こんにちは。いつきです。

 

いつきが生まれ育ったのは、

「中の島」

という地域でした。

子どもの時は気付かなかったのですが、

中の島にはまあラブホテルが多いんですよね。

小学校の隣、中学校のほぼ隣、保育園の向かい、

神社の真正面。

 

それはそれはすごい頻度でラブホテルがあるのです。

子どもの頃はラブホテルとかわからないし、

それが普通だと思っていたんですけど、

他の地域に住んでみるといかに多かったのかがよくわかる。

 

ちなみに神社の玄関を出ると目の前はラブホテルでした。

夜には紫と緑の光で照らされていましたね。

 (いまはそのラブホテルはアパートになりました)

友達と雑談しながら

「そのホテルの中に入っていくひとチェック」

とかをしょっちゅうしていましたね。

ぐるぐる何周もしてから入って行くふたりとか。

お年寄り同士とか。

男性同士とか。

一人で入って行ったりとか。

 

中の島には中の島のテーマソングみたいな歌があって、

『恋のミッドアイランド』

という歌だったんですけど、

歌詞の中に

「恋とリンゴの実るまち」

というフレーズがあるんですけど、

リンゴはリンゴ園的なものが昔あったからだとは聞いていたけど、

恋が実るってどういうことなのかなあ、って不思議だったんですが、

大人になるにつれラブホテルの意味とかが色々わかるようになってくると、

「そういうことか。」

って思って妙に納得したのを思い出します。

 

中の島はすごい勢いで自転車が盗まれるし、

玄関前に停めてたバイクから部品を盗もうとしてるカップがいて、

父が家(神社)の中からそのカップルに

「コラっ!!」

と注意するとカップルがいなくなったり、

バイク本体じゃなくて部品を盗むってどういうことなのかなあ」

って思ったり、

学生のガラが悪すぎたり、

何かと騒がしかったり、

治安はあんまり良くなかったんですけど、

やっぱり生まれてから17歳までという長い期間を過ごすと、

愛着というのはわくもので、

いまでも中の島に行くことがあると、

すごく落ち着くというかなんというか、

「果てしないただいま感」

があります。

それを感じるたび、離れて10年以上経ちますけど、

いまだに自分のホームは中の島なのだなあと感じますね。

 

ずっとアウェイ。

 

そうそう。

神社暮らしで嫌だったエピソードをひとつ思い出したので書きますね。

神社には大きなご神木が二本あって、

それにカラスが毎年巣を作って、

巣立ちの時期になるとカラスのヒナがうまく飛び立てなくて、

巣から落っこちてくるんです。

そうすると親カラスは子カラスを守るために、

近くに来ようとする人間を攻撃してくるんですよね。

ヒナは飛べないくせにうろちょろするし、

その親カラス的な「子カラスの近く」の範囲がけっこう広くて、

神社の周囲の道路を通ろうものならもれなく攻撃されるのです。

 

小学校一年生のころ、

登校時、玄関を出てすぐに親カラスに襲撃されて頭皮を「えいっ」とされたいつきは、

カラスこわいよ〜帰りたくないよ〜って学校で泣いたこともあったんですけど、

まあどれだけ怖くて帰りたくなくても家(神社)には帰らないといけないですからね。

ビビりまくり泣きながら帰った幼き日の思い出。

 

学校から親へのお便り的なやつに、

「神社付近でカラスに攻撃されて危険なので近くを通る時は気をつけて下さい」

という内容のが配られたこともあったんですけど、

気をつけてと言われても住んでる場合はどうしたらいいんだろう

ってお便りを見つめながら思ったのを、

さっき、思い出しました。

 

ちなみにカラスのヒナが落っこちるたびに、

親カラスがひとを襲って危険なので、

父はその度にヘルメットを被っておっきい眼鏡をしてぶ厚い作業服みたいのを着て、

全身装備をした上でヒナを近くの小さい川まで移動をさせていました。

親カラスからとてつもない攻撃をされながら。

 

そう。

神社の管理人業務とは、決して

神主の真似事をしてお祓いをすることなどではなかったのです。

神社周辺のひとをカラスの危険から守ることも業務の一環だったのです。

 

頭皮をえいっとされてからトラウマで、

ずっとカラスが怖くてたまらなかったのですが、

いつきは最近になって、

ようやくカラスが怖くなくなりました。