半目日記

早く全目になりたい

いつき五人兄弟

こんにちは、いつきです。

 

いつきは神社の中で、五人兄弟の七人家族という大所帯で育ちました。

毎日それはそれはすごい人口密度の中で寝ていました。

毎晩雑魚寝。

 

わたしが頼りないからなのか、わがままそうに見えるのからなのか、

あまり親しくないひとには、よく

「末っ子?」

とかと聞かれたりするのですが、

残念ながらいつきは五人兄弟の上から二番目です。

なんなら上は兄なので長女です。

もっと言えば兄は知的障害があるので実質わたしがいちばん上みたいなものです。

それなのに「お姉ちゃんっぽいね」と言われることはほぼありません。

なんだか残念ですね。

 

わたしは五人兄弟なんです、というと、

絶対に「多いね!」と言われるので、

いかにこのご時世に五人兄弟が存在しないか、

ということを実感しながら29年間を過ごしてきたのですが、

本当に、五人も居ると、いろいろと社会側が想定外なんですよね。

あちこちに提出する書類に兄弟の欄が足りなかったりとか。

まず人生ゲーム(ボード版)で考えてみても、

想定されているMAXの子どもの数は四人ですからね。

末っ子は車にすごくおかしな乗り方をすることになりますからね。

おなじ現象がいつき家でも起こっており、

いちばん末っ子の弟は神社から引っ越して4LDKの家になってからも、

自分の部屋がなかったので廊下で体育座りで本を読んで過ごしている子になりました。

大家族の弊害。

 

兄弟は上から順に男、女、男、女、男、

という完璧すぎる生み分けがなされていたせいで、

よくひとに

「どうやったの?」

とか、

「お父さんお母さん頑張ったね(下衆顔で)」

とか言われたりするんですけど、

わたしは生み分け方法に関しては少しも分からないですし、

まあ貧乏人の子沢山的なことですよねっておもいますし、

頑張ったねの言葉も両親に直接掛けてあげてっておもっていたんですけど、

この年になってくると、

いかにそんなにずっと仲がいい(夜的な意味で)ことが奇跡的か、

ということが分かったりもしてくるので、

まあ仲がいいのはいいことなのかもしれないね、とも思うようになりました。

 

子どもの頃は五人兄弟ですと言うのが恥ずかしかったりもしたのですが、

いまは全くなくなりましたね。

両親は元気だったんだなとは思いますけどね。

あと、五人も兄弟がいるなんてお金持ちなんだねとか言われることもありますけど、

全然逆で極貧すぎて神社に住んでましたからね。

 

同じ親から生まれ育っても、

五人も居るとそれぞれが好きなものとかが全然違うので、

やっぱり生まれ持った資質って大きいんだなあ、

って、兄弟を見ているとおもいます。

 

それぞれを簡単に紹介すると、

兄(31)はカウントが難しいですけど異様なテレビ好き、

わたし(29)は作家を目指しながらネイルで自営業、

弟(27)はわかりやすくグレたので全身タトゥーだらけでピアスが空きまくりのフリーター、

妹(20)は看護師になるため大学に在学中、

弟(19)はキャッサバの研究をするために国立大学に在学中、

という状況となっております。

 

ちょっと弟二人の落差がだいぶ開きのある感じになっていますね。

タトゥーの方の弟は、

かなり気合いの入ったタトゥーの入れ方をしてるので、

(肩から始まったのがいまは手の甲まできてます)

親戚の葬儀の時とか隠し切れなくて困っていたり、

耳に空いた穴が大きすぎたりしているんですけど、

同じような見た目の彼女とかなり長く同棲していて、

一緒に古い家具をリメイクしたり海外のアンティーク系おもちゃを集めたりしてて、

すっごく仲が良くて羨ましい限りです。

 

一方キャッサバの方の弟は、

廊下で本を読み続けていたからか、

世間知らずだったあまり大卒でブラックすぎる企業に就職してしまったわたしに

やりたいことがないなら選択肢の多い国立大学に行きなさい

と週に五回は真顔で言われ続けていたせいなのかはわかりませんが、

やりたいことがないと言いながらも頭のよい高校に行き、

大学も、塾や学校で勉強はしても家で一切勉強はしないというスタイルで国立大学に一発合格するほどの、

ちょっと五番目にして初めて勉強の出来る子に仕上がりました。

大学の合格発表時に、合格祝いでお茶をして、

大学ではなにを勉強したいのか聞いたとき、

私「よかったね!大学ではなにをお勉強するのー?」

弟「・・・キャッサバって分かる?」

私「え?なに?鯖?」

弟「イモ

私「いも・・・」

弟「キャッサバって、すごく暖かい地方で育つ芋で、あまり雨とか降らない地域でも遺伝子組み替えで同じ環境下でも収穫出来る量が全然違うっていう研究にすごく可能性と魅力を感じたの」

私「・・・そうなんだ・・・」

というすごく頭の悪い会話をしたのが鮮明に思い出されます。

 

そしてその会話の直後に弟に

「お姉ちゃんはずっと僕の心配をしてくれてたけど、お姉ちゃんは大丈夫なの?男性関係の方は

と真顔で言われた話はまた別のエントリーで書くとして、

看護師になるための勉強中の妹は、

すごくすごくアホで可愛くて、

最近のエピソードだと

「住民票って賞味期限みたいのある?」

とLINEできいてきたりする天然すぎる妹、

および天然すぎる母について次回は書きたいとおもいます。

炸裂する妹愛。

そして母へのdis。

 

ちなみに上記のLINEには

「賞味期限に関して言うと、ないよ」

と返信しました。

初恋はときめきメモリアルの中に。

こんにちは、いつきです。

 

極貧神社暮らしでいじめられっ子だったいつきは、

自分には恋などというものは生涯無縁であるとおもっていました。

恋どころか友人がいませんでしたからね。

恋愛なんてちょっとした都市伝説くらいにおもっていた節もあります。

 

だって、同級生の立場になって考えてみてください。

神社に住んでいて見た目も貧乏っぽくてほぼ誰とも会話せず本ばかり読んでいる女子ですよ。

(いま思い出しましたがこの頃はまだアトピーもとても酷かった)

総合的に考えて、小学生からしてみたら、普通に気持ち悪いですよね。

そりゃーいじめられるよね、とおもいます。

 

そんないつきが本を読み漁り、

友人であるなちこに出会い大量の漫画を読むようになり、

正真正銘のオタクになり始めたときに、

なちこが貸してくれた、『ときめきメモリアル』によっていつきの恋愛スキルは培われました。

 

ときめきメモリアル』なるゲームをご存知でしょうか?

 〜「ときメモ」こと、ときめきメモリアルとは〜

高校生活三年間を過ごしつつ、

数値化された自分のパラメータ(容姿、運動能力、勉強能力、芸術知識、雑学知識、根性など)を上げながら、

自分が狙った女の子の理想の男性になっていき、デート等で好感度を上げ、

最終的には卒業式の日に女の子から告白されるのを目標とするゲームです。

さらりと説明してみましたけどすごいシステムですね。

この頃にはまだゲームのジャンルとしてこういう恋愛シミュレーションというジャンルがなかったので、

ときメモがこのジャンルの走りだったのです。

システムの凝り具合も楽しさも女の子のキャラもときメモが圧倒的ナンバーワンでした。

KONAMIさんは神。

 

ときメモのシステムの話に戻りますが、

ときメモの中では平日に本を読んだり運動を部活動をしたりしてパラメータを上げて、

日曜日には女の子に電話を掛けてデートの約束を取り付けたり、

女の子とデートしたりすることが出来るのですが、

女の子は仲良くならないうちはまずデートに来てくれないんですよね。

あと、デートに誘う場所も選べるんですけど、

好感度が低い時は相手の好みの場所を選ばないと来てくれない。

そこで相手の好感度を上げるためにはデートをして、

三択式の会話から彼女の気に入りそうな会話をチョイスすることがマストなんですけど、

まずはデートに来てもらわないといけないので、

徹底的に自分のパラメータを上げ、

学校のイベント(体育祭や文化祭など)で活躍し、

休日には電話を掛けまくり、

とにかくデートに漕ぎ着ける

ということが重要になってきます。

 

お気に入りの女の子とデートをするために自分のパラメータ上げに必死になる。

現実で男子とやれよと思う気持ちはわかりますよ、

わかりますけどわたしは神社に住んでいるのでそんなことは不可能だったわけです!!(大声)

 

ときメモの中にはそれはそれはかわいい女の子(いつき基準)がたくさん出てくるんですけど、

ラスボスと呼ばれた詩織ちゃんがやはりときメモを代表する女子でしょう。

詩織ちゃんは主人公と幼なじみでありながら、

「容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、きらめき高校のスーパーアイドル」(Wikipediaより)

というスーパーハイスペックだったので、

自分自身も三年間のうちにかなりのハイスペックにならないと全然告白しに来てくれないのです。

三年間という限られた条件下で上げられるパラメータには限界がある、

となると、詩織ちゃんの好感度を上げるためにどうなることが必要かというと、

「デートの三択式会話が達人級になる」

という現実世界ではあり得ないスキルが上がってくる訳です。

 

ときメモのデートのシステムは、

まず日曜日に彼女の好きそうな場所にデートに誘い、

当日にデート場所に行き、

彼女が話し掛けてきた内容に何と返すかを三択から選ぶか、

デート中に何と話し掛けるかの三択から会話を選び、

それで彼女がいちばん好感度を持ってくれる会話だと彼女がばっちり好印象を抱いてくれてデートは終了となります。

好印象を抱いてくれたかどうかは帰りの女の子の台詞でわかります。

「今日はすっごく楽しかった!また誘ってね!」

的なことを言われるか、

「今日って、何だったのかな・・・」

的なことを言われるか。

女の子って残酷ですね。

 

いつきはデート前にデータをセーブしておき、

彼女の印象が良くなければデート後リセットしてデートをやり直す

という手法をよく用いていたんですけど、

続けていくうちにわかってくるんですよね、

彼女がどの会話を最高に喜んで好印象を抱いてくれるのか。

 

詩織ちゃんは前述したとおりラスボスと呼ばれた女。

メインヒロインでありながらいちばん難易度の高い女子だったので、

詩織ちゃんを落とす(ときメモ界隈では卒業式に告白されることを指します)ことが出来れば他の女子なんて容易いものでした。

 

詩織ちゃん以外にも、

文系眼鏡女子、野球部マネージャー系女子、セクシー系女子など色々な女子がいたのですが、

その女子たちが、

どんな男が理想で。

どんな場所が好きで。

どんな会話が好きで。

ということが、いつきにはほぼ瞬時に察することが出来るようになり、

デートの場所選びもデートの三択式会話も迷わずいちばん好印象のものを選べるようになったことで、

わたしは一緒になって家でときメモをやっていた弟から

「マスター」の称号を得ていました。

 

女の子の好感度がどんどん上がっていき、

女の子の方からもデートのお誘いの電話がかかってきたりするようになると、

付き合う前のギリギリの雰囲気なんかも楽しむことが出来たのですが、

二人の雰囲気がそうなってくるとお目当てのデート場所の帰りに、女の子から

「他にもどこかに寄って行かない?」

と誘われて喫茶店とかに行くことができました。

 

自分が誘ったデート場所以外に女子から誘ってくれる。

そして嬉しそうにお茶を飲んでいる女の子はとても可愛くて。

それは、すごくすごく、嬉しい時間で。

恋してるなって、感じていました。(画面を見つめながら)

 

そして、恋に無縁のいつきはときメモの中で、

盛り上がったデートには二次会があるんだ、ということを知ったのでした。

 

 

 

 

いつき、オタクになる。

こんにちは、いつきです。

 

小学校時代の話です。

極貧すぎるうえ神社で暮らしていたいつきは、

当然のように学校でいじめられたので、

友達はほとんどいませんでした。

(わたしの低コミュニケーションスキルはその時代に培われたままほぼ進化していません)

「人というのは基本的にわたしを嫌いだし傷付ける生き物なんだ。」

と学習してしまい、それがほぼ更新されないまま29歳になってしまいました。

それは、モテない筈ですね。

 

友達がいないいつきは、

毎日図書館に通っては本を二冊とか借りては、

その日のうちに読み終え、

翌日また二冊借りてその日じゅうに読み終えて・・・

というのをずーっと繰り返している小学校低学年時代でした。

本の虫というか、図書館っ子すぎて、

図書カードの貸出欄があっという間に埋まったし、

新書とかだいたい把握していましたし、

学校の図書館では物足りなくて休日は中央図書館までお出かけするのが好きでしたし、

大人しか読んじゃいけないゾーンの本もこっそり読んでいましたし、

おかげで友達はいないけど他の子よりも大人の世界を知っている子どもだった気がします。

本を読み始めた最初からずーっと、

好きな本は『かいけつゾロリ』シリーズでした。

原ゆたか先生は神。

 

遊ぶ友達がいないので、

近所の児童会館に行ってはそこの図書館にこもる

ということもしていました。

そこにあった漫画は多分、全部読んでいました。

いつきは『お父さんは心配症』が大好きで繰り返し読んでいました。

岡田あーみん先生は神。

 

小学校高学年になると、

同じクラスで「なちこ(仮名)」というお友達ができたので、

おうちに遊びに行かせてもらうことが多かったのですが、

たぶんいま思えばなちこ家はセレブだったんでしょうね。

なちこのおうちには膨大な量の漫画がありました。

そこで漫画をしょっちゅう貸してもらうようになってからです。

いつきがオタクになっていったのは。

 

なんでなんでしょうね、

ただただ、たくさん小説を読んでいるときには、

多分そんなに、そうでもなかったと思うんですけど、

漫画をたくさん読み、

漫画の世界に傾倒し、

漫画好きな友達が出来始め、

エヴァ(主に綾波)のイラストとかを描いてみたりするようになると、

次第に喋り方とか動きとかがオタク特有のものになってくるんですよね。

あの頃は本当に「グフフ」って笑っていたとおもう。

(いまでもテンションが高くなると動きがオタクになるね、と友達に笑われます)

 

そんな感じで、小学校の最後の方には、

いつきは図書館に通う頻度はどんどん少なくなっていき、

主になちこに借りた漫画と、

ブックオフの立ち読みで「読書欲」を満たし、

オタク友達とグフグフと漫画の感想や、

好きなミュージシャン(この頃はTMRがわたしのアイドルでした)について

萌え語りをしたりする日々を送るようになっていました。

 

一方、わたしは小説や漫画を読めば読むほど内側から滲み出てくる

「文章を書きたい欲」

が日々沸き上がってきては、熱を止めることが出来ず、

小学校の高学年には熱量の赴くままに自分でノートに小説を書き綴っていました。

その頃にはもう既に暗い作風でした。

漫画を大量に読み始めて小説を読まなくなったから、

というのも、小説を読まなくなった理由の一つだったんですけど、

小学校の時点で「他の文章に影響されるのが嫌だ」と思って読むのをやめた、

というのもすごく大きい理由でした。

 

なのでこの頃のわたしは漫画を大量に読みつつ自分で小説を書く・・・

ということが、既に自分の中のライフワークになっていました。

狭すぎる神社生活では親に小説を書いていることを絶対に知られたくないので、

わたしの部屋が絶対に必要だったというのもあって、

無理矢理にでも自分の部屋を作った、というのも、ありましたね。

 

そうして無理矢理手に入れた部屋で自分でイラストや小説を書いていたわたしは、

オタク友達と協力し合って、

いわゆる同人誌を作ってはイベントで販売してみたりしていました。

 

そしてそうやってオタクの世界にどっぷり浸かっていくことで、

いつきは身に染みて知っていったんですよね。

オタクというのがどれだけスクールカーストの最下層であるかを。

 

いじめられっ子からオタクにジョブチェンジしたところで、

別にカーストの最下層を右から左に移動したくらいで、

上下関係には微塵も影響はしませんでした。

カーストの最上位には眩しいほどイケてる人たちが君臨していたし、

男子というのはただただ遠くから薄目で眺める存在でした。

(この頃から眼鏡男子が好きという男性のタイプも変化していません)

 

恋なんて、いつきには永久に訪れないと思っていた。

わたしを誰かが好きになってくれることなんて、

これから先ずっと、永遠にないと思っていた。(いまもそれは思ってるけど)

 

でも、そんなとき、

なちこが貸してくれたゲームの中で、

いつきは初めての恋を、見つけたのです。

 

 

 

 

次回予告

『初恋はときめきメモリアルの中に。』

 

 

 

 

 

育ったのはラブホテル街「中の島」。

こんにちは。いつきです。

 

いつきが生まれ育ったのは、

「中の島」

という地域でした。

子どもの時は気付かなかったのですが、

中の島にはまあラブホテルが多いんですよね。

小学校の隣、中学校のほぼ隣、保育園の向かい、

神社の真正面。

 

それはそれはすごい頻度でラブホテルがあるのです。

子どもの頃はラブホテルとかわからないし、

それが普通だと思っていたんですけど、

他の地域に住んでみるといかに多かったのかがよくわかる。

 

ちなみに神社の玄関を出ると目の前はラブホテルでした。

夜には紫と緑の光で照らされていましたね。

 (いまはそのラブホテルはアパートになりました)

友達と雑談しながら

「そのホテルの中に入っていくひとチェック」

とかをしょっちゅうしていましたね。

ぐるぐる何周もしてから入って行くふたりとか。

お年寄り同士とか。

男性同士とか。

一人で入って行ったりとか。

 

中の島には中の島のテーマソングみたいな歌があって、

『恋のミッドアイランド』

という歌だったんですけど、

歌詞の中に

「恋とリンゴの実るまち」

というフレーズがあるんですけど、

リンゴはリンゴ園的なものが昔あったからだとは聞いていたけど、

恋が実るってどういうことなのかなあ、って不思議だったんですが、

大人になるにつれラブホテルの意味とかが色々わかるようになってくると、

「そういうことか。」

って思って妙に納得したのを思い出します。

 

中の島はすごい勢いで自転車が盗まれるし、

玄関前に停めてたバイクから部品を盗もうとしてるカップがいて、

父が家(神社)の中からそのカップルに

「コラっ!!」

と注意するとカップルがいなくなったり、

バイク本体じゃなくて部品を盗むってどういうことなのかなあ」

って思ったり、

学生のガラが悪すぎたり、

何かと騒がしかったり、

治安はあんまり良くなかったんですけど、

やっぱり生まれてから17歳までという長い期間を過ごすと、

愛着というのはわくもので、

いまでも中の島に行くことがあると、

すごく落ち着くというかなんというか、

「果てしないただいま感」

があります。

それを感じるたび、離れて10年以上経ちますけど、

いまだに自分のホームは中の島なのだなあと感じますね。

 

ずっとアウェイ。

 

そうそう。

神社暮らしで嫌だったエピソードをひとつ思い出したので書きますね。

神社には大きなご神木が二本あって、

それにカラスが毎年巣を作って、

巣立ちの時期になるとカラスのヒナがうまく飛び立てなくて、

巣から落っこちてくるんです。

そうすると親カラスは子カラスを守るために、

近くに来ようとする人間を攻撃してくるんですよね。

ヒナは飛べないくせにうろちょろするし、

その親カラス的な「子カラスの近く」の範囲がけっこう広くて、

神社の周囲の道路を通ろうものならもれなく攻撃されるのです。

 

小学校一年生のころ、

登校時、玄関を出てすぐに親カラスに襲撃されて頭皮を「えいっ」とされたいつきは、

カラスこわいよ〜帰りたくないよ〜って学校で泣いたこともあったんですけど、

まあどれだけ怖くて帰りたくなくても家(神社)には帰らないといけないですからね。

ビビりまくり泣きながら帰った幼き日の思い出。

 

学校から親へのお便り的なやつに、

「神社付近でカラスに攻撃されて危険なので近くを通る時は気をつけて下さい」

という内容のが配られたこともあったんですけど、

気をつけてと言われても住んでる場合はどうしたらいいんだろう

ってお便りを見つめながら思ったのを、

さっき、思い出しました。

 

ちなみにカラスのヒナが落っこちるたびに、

親カラスがひとを襲って危険なので、

父はその度にヘルメットを被っておっきい眼鏡をしてぶ厚い作業服みたいのを着て、

全身装備をした上でヒナを近くの小さい川まで移動をさせていました。

親カラスからとてつもない攻撃をされながら。

 

そう。

神社の管理人業務とは、決して

神主の真似事をしてお祓いをすることなどではなかったのです。

神社周辺のひとをカラスの危険から守ることも業務の一環だったのです。

 

頭皮をえいっとされてからトラウマで、

ずっとカラスが怖くてたまらなかったのですが、

いつきは最近になって、

ようやくカラスが怖くなくなりました。

 

 

 

 

神社内のわたしの部屋。

こんにちは。いつきです。

 

前回のブログをみてくれた人から、

「神社に住んでたってことは分かったけど、それでもちょっと、だいぶわかんない

と言われました。

一瞬、えーそうかな?とおもったけど、よく考えれば

「まあそりゃそうだよね」

とおもったので、

神社内生活のディテールを書こうかなと思ったのですが、

どこに主軸を置いて書けばいいのかよくわからないので、

(もはやなにが普通でなにが普通じゃないのかがよくわからないため)

主にわたしの(というかわたしが勝手に自分の部屋にしていた)部屋の話を書こうとおもいます。

 

神社内の建物の構造は、

玄関を入ると左に居住スペースが二部屋と、

右に神社スペースが二部屋あって、

いつき一家は主に左の二部屋にひしめき合って暮らしていました。

モノがありすぎたので定かではないんですけど、

広さ的には多分、八畳と六畳、とかだったんじゃないかと思います。

 

お風呂はありませんでしたが、

キッチン(ていうか流し)とトイレ(ボットンと水洗の中間のやつ)はありました。

とっても大きい押し入れもありました。

そして屋外には父が勝手に建てたプレハブの物置があって、

神社(というかいつき一家の部屋)は薪ストーブだったので、

プレハブの物置小屋の中に、どこから入手してきたのかよくわからない、

大量の薪がいつもぎゅうぎゅうに詰まっていました。

夏には

「部屋の中で火を使うと暑い」

という理由で、よく母が物置で冷や麦(決してそうめんではない)を茹でて、

食卓に運んでいたのを思い出します。

物置でいうと、冬は物置の上に乗って雪遊びをしました。

物置(低い)の上から神社の方(こっちに行くほど高い)まで、

どこまで高さの恐怖に耐えて歩いて行けるか、

みたいな競争を、ふたつ年下の弟としていました。

神様の上を走り回るという子ども時代。

 

最初、いつき兄弟は三人兄弟だったんですけど、

わたしが小学校三年生のときに妹が生まれ、

四年生の時に年子で弟が生まれたことにより、

いつき一家は五人兄弟の七人家族となり、

(大家族で神社住まいだなんて、いつ大家族スペシャルに取材されてしまうかおびえていました)

下の二人が育つほど、二部屋は手狭になるばかりでした。

そして思春期を迎えたわたしは自分の部屋が欲しくて欲しくてたまらなくなり、

勝手に神社スペースの一室を自分の部屋にし始めたのです。

 

その部屋は、神社のイベントなどで、ひとが着替えたりとか、

いろいろな準備をしたりするための部屋だったと思うんですけど、

その部屋を抜けて奥に行くと、

参拝者から見えるお部屋(お賽銭とかがあるお部屋)に行けるんですよね。

つまり隣にはご神体?があったわけです。

そんなところに勝手にものを置いて自室化するいつき。

そして、止めない両親

その部屋はあっという間にいつきのお部屋となりました。

 

普段は、別によかったんです。

すごい寒いし虫も出るけど自分だけの部屋は部屋だし、

家族と一緒にぎゅうぎゅう詰めでいるよりマシだし、

思春期らしくひとりでいられて自由は自由でした。

でも、

時々、町内会の人が勝手に入ってくるんですよね。

 

前回にも書いたんですけど、神社はたぶん町内会で運営?をしていて、

管理は町内会の偉い人もやってたりしていて、

お賽銭の回収とか、おみくじとかお守りの売り上げとかは、

たぶん町内会の偉い人が管理をやっていたんだと思うんですけど、

その人がわたしの部屋(※正確にはわたしの部屋ではない)に勝手に入ってくるわけです。

わたしが寝ていようが、パンツを穿くところであろうがお構いなしに。

 

思春期すぎるわたしは、両親に

「町内会の人がわたしの部屋(違う)に勝手に入ってくるのをなんとかして欲しい」

と訴えたのですが、

「まあ、本当はあっちは住むところじゃないから」

と正当すぎることを言われて悲しかったことをよく覚えています。

 

いま思えばせめて玄関に鍵をかければよかったのにともおもいますけど、

わたしの両親に施錠という発想はありませんでした。

長期で家を空けるとき以外は鍵をしていなかった。

「貧乏だから盗られるものなんてない」と思っていたんでしょうけど、

賽銭という現金があるんだぞ。

不用心にもほどがありすぎるだろ。って思いますね。

いま言っても遅いですけど。

 

そんな感じで、

半分自室、

半分町内会のひとが勝手に通り過ぎる部屋

でわたしは17歳まで過ごしました。

 

わたしに「恥ずかしい」という概念があまりないのは、

この時代のせいなのかもしれないなっておもいますね。

 

町内会のひとに、着替えを見られても日常だったから。

 

 

 

 

 

 

 

神社に一家で住んでいた話

はじめましてこんにちは。いつきです。

 

 

ここはわたしの人生やなんやかんやを書くブログです。

よろしくね。

さ、自分のこれまでの人生について書くぞ〜、

と思っても何から書こうか迷いましたが、

とりあえずは突っ込まれることの多い

「神社に一家で住んでいた話」

から書いていこうとおもいます。

 

わたしは記憶のあるいちばん昔までさかのぼっても、

既にいつき一家全員で神社内で生活をしていました。

17歳まで住んでました。

よくひとにそのことを話すと

「神社って住めるの?」

とか、

「神社って暮らせるの?」

ってしょっちゅう訊かれるんですけど、

「他の神社のことはわからないがふつうは暮らせないことのほうが多い」

んじゃないかと思います。

 

じゃあなんでいつき一家は神社に(そして神社内のどこに)住んでいたのか、

っていう話になると思うんですけど、

理由としては

「簡単にいうと極貧すぎたから」

ということになりますし、

神社内のどこに?という質問に関しては

「何かじゃらんじゃらん鳴らして参拝するところの奥らへん」

ということになります。

 

極貧すぎた理由としては父が無職だったからなんですけど、

そのあたりは語ると長いのでまた別のエントリーで書こうと思います。

 

神社で暮らしていたといっても、

町内会でやっていた(とおもう)神社でしたので、

「家賃無料で住んでいいかわりに神社内の管理人業務をやれ」

ということだったので、

別に生活空間が神社の中にあったというだけでそんなに特別なことはなく、

せいぜい、

隣の中学校から生徒がきて

こっくりさんをやってたら友達がおかしくなったのでお祓いしてほしい」

と頼まれたり、

「ちょっとうちはお祓いとかやってないんで」

と断ったり、

お正月のどんど焼きを父が焼いていたり、(父は神主などではない普通のおじさんです)

賽銭泥棒が入りすぎて扉が木製から鉄扉にかわったり、

夜中でも手加減なしに全力でお参りに来る人がうるさかったり、

「いつき神社」と呼ばれていじめられたり(わたしの家は神社内だがわたし自身は神社ではない)、

春は神社内の木に巣食うカラスさんに襲撃されたり、

夏は家の中に虫さんがたくさん遊びにきたり、

秋は膨大な量の落ち葉拾いでやった焼き芋がおいしかったり、

冬は雪かきの範囲が尋常じゃないくらい広すぎた

神社内でやる縁日的な祭がうるさすぎたり、

毎晩金縛りにあう時期があったり、

くらいなもので、

まあわりと普通の生活を送っていました。

 

それでも何かとやっぱりうちは一般の家ではないんだなと感じていたことは、

神社にはお風呂がなかったことです。

 

これが昭和の時代なら。

これがもっとはるか昔の話なら、

お風呂がないおうちもごく一般的だったでしょう。

 

でも、この時代ですよ。

もう、平成の世の中ですよ。

そのご時世に家にお風呂がないって。

 

まあ、家ではないから当然といえば当然なのかもしれないですけどね。

 

お風呂がないうえ極貧すぎたので、

お風呂に入るときは親戚のひとの家or近所のひとの家で入れさせてもらい、

最終的な手段として銭湯、

という感じで普段は入浴していたとおもいます。

 

この時期に記憶を遡ると、

冬はお風呂の帰りみち、

髪の毛が凍るとバッキバキになったのを思い出しますね。

なつかしや。

 

もう十年以上前の出来事ということもできるし、

十年ちょっと前まで神社に住んでたのかよ!

という事実にもちょっとびっくりしたりするんですけど、

未だに夜に「家族の夢」とか「家の夢」とかを見るときは、

神社が家なので、

わたしの脳みそは家=神社、

とインプットされたまま更新されていないんだなあと感じます。

 

はやくアップデートしようぜ、

とおもうけど、

脳みそさんの更新はそう簡単ではない模様です。

 

ちなみにいまは父はいちおう職に就き、

「結露がひどすぎて家じゅうがカビだらけで壁が割れてたりしている家」

に親とかは住んでいます。

 

家に帰って壁とか見るたびにアレなきもちにはなるんですけど、

とりあえず、

お風呂ができてよかった!