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いつきの半目ブログ

極貧で神社育ち、難病持ち、クレイジー家族持ち、オタクのいつきがなんやかんやを書くブログ

いつきと「死にたい問題」

こんにちは、いつきです。  

 

今回は少し番外編で、闇感溢れる記事になるので、

闇が苦手な方はぜひ他のブログをご覧ください。

(自分の悩みとかよく分からなくなるので、叶姉妹さんのブログがおすすめです)  

 

今日は、唐突ですが、 いつきと「死にたい問題」についておもうところを書こうと思います。  

 

先日、友人が自ら命を絶って、この世を去ってしまいました。

そのお友達はあまりに、自死とはイメージがかけ離れていて、

いつもいつもとっても可愛いニコニコ笑顔で、

すごく明るくて、素直で、盛り上げ上手で、 会えばたくさん褒めてくれて、

周りを繋ぐことをたくさんしてくれる子でした。

誰からも愛されるような子でした。

何がそんなに彼女を追い詰めたのかわかりませんが・・・

悲しいのはもちろんなのですが、ただ呆然として、

なんというか未だ、あまり現実感がありません。  

わたしは亡くなった人で初めて、

お化けでいいからもう一度会いたいな、と思っています。  

 

さて、、、そんな中、

わたしは、「自死」、と聞いて、

胸が「ザワリ」、と音を立てました。  

 

死にたい、と思うくらい、追い詰められるということ。

死にたい、と思うくらい、思いつめてしまうこと。  

 

自分には全く縁がないな〜というひともいれば、

「少しか思い当たる・・・」というひとも、いるでしょう。

 

胸がザワリとしたのは、わたしはこれまでの人生、

割りと「死にたいな〜」と思いながら生きてきたからです。

がっつりと闇を抱えて生きてきたからです。

こういう人を胸の中に飼っています。

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(※イメージです)  

 

闇を飼っている理由はこれまでブログに書いているようなことで、

両親はともに宗教にハマりすぎて無職だし、性格もクレイジーだし、

兄は知的障害があるし、「将来親が死んだら面倒見てな!」と言われていたし、

自分は難病になるし、毎日具合が悪いのに治らずどんどん悪化していく一方だし、

「お前はバカでブスだぞ〜」と言われて育ったので自分に自信がないし、

いじめ経験のおかげもあって根本的にひとが怖くてコミュニケーションも苦手だし、

将来のことを考えると、

「あれ?わたしの人生すでに終わってるな?」としか思えなかったからです。  

 

「両親頭おかしくて兄に障害あって本人が難病でコミュ力がなくてもわたしを愛して結婚してくれる人はどこかにいるぜ!」

と思えるまでのアホポジティブには残念ながら育たなかったため、

「こんな環境で誰にも頼れず誰にも愛されず、具合悪いながらも働きまくりつつ、

 兄の面倒を見るだけの孤独な人生なら死にたいな〜〜」

と、わりかし本気で思ってきたのです。  

 

思春期からこの感じの悩みを持ち続けて育ってくると、

それは中々の深さの闇が形成されることになり、

結果心の中にこういう人を飼ってしまうことになるのです。

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(※イメージです)  

 

なんなら「わたしに生きている価値はないし死んだほうがいいし苦しいし救われたい」

とも常々思っていましたが、

思春期以降に経験したことや出会った人たちにより、

少しずつわたしの自信はマイナスからやっとプラマイゼロくらいになりました。

「わたしも生きていてもいいんだな・・・」 と思えるようになりました。  

 

ですが「自分に価値がないと思っている」 というのは変わらなくて、

そこだけ聞くとすごくネガティブなイメージしかないかもしれませんが、

逆にわたしにはそれがあるから、 自分に病気があって具合が悪くても、

「働かなければ」とおもうのです。

働くって、人の喜びを作ったり、

誰かのためになることをしているわけじゃないですか。

そうすると、そこで自分に価値が生まれるのです。

「自分に価値を作るために働く」、

って、わたしはポジティブなことだと思っています。

 

そしてわたしは小さい頃から物書きになりたくて、

「文章で認められなければ生きている価値がない」、

ともずっと思っていて、

だから文章を書き続けているというのもあるのです。

「自分に自信がない」ことが、

モチベーションにつながることもある、という例ではないかなと思っています。

 

だからわたしはずっと自分に自信がないままですけど、

様々にこじらせすぎていていろいろなことがうまく出来なくて苦しいですけど、

もうこれは30年このまま生きてきてしまったので、

30年かけて熟成されていい感じに発酵した闇が出来上がってしまっているので、

そう簡単に変わることは出来ないとおもうんです。

 

でも、だからと言って、このままでいることが凄く良いことだとも思わない。

 

では、どうすればいいのか。

自分の中のネガティブと、どう向き合えばいいのか。

死にたいくらい苦しい気持ちを、どうすればいいのか。

 

 

大人になってからのわたしがなんとなく導き出した答えは、

ダメでもいいから死にたくないように生きよう

ということでした。

 

 

そうです。

死にたいくらい苦しいならば、

死にたくならないようにして、生きればいいのです。

 

 

仕事で悩みすぎて死にたいなら、

その仕事なんて辞めればいい。

家族のことに悩んで死にたいなら、

友人に悩んで死にたいなら、

恋人に悩んで死にたいなら、

その人とはどれだけでも距離をおけばいい。

無理やりにでもいくらでも楽しみを作ればいい。

全部から逃げたっていい。

「あなたの行動は逃げだ」

と批判する人もいるかもしれない。

でも、その人ってあなたのことをよく理解している人ですか?

それは、あなたのことを心から思って言ってくれている言葉ですか?

絶対に絶対に、そうではないとおもう。

だからそんな人からのそんな言葉、

全部ガン無視でいい。

「普通はこうなのに出来ないあなたは駄目」

「逃げることはよくない」

という言葉にあなたが殺されるくらいなら逃げたほうが絶対にいい。

逃げるが勝ちって言葉だってあるじゃないですか。

あれはきっと、

死にたい場合においては全く間違いじゃない。

 

昔、死にたさがMAXだった頃は、

「死んじゃ駄目って言ってる人は無責任だな〜」

と思っていました。

だって、「死んじゃ駄目」っていうのは綺麗事にしか聞こえなくて、

「死にたいくらい辛いことでも、いいからずっと耐え続けろ」

って言ってることと同義だと思っていたからです。

あまりに無責任だし残酷だし、

「周りの人を悲しませちゃいけないから自殺は駄目」

という理屈なんて、

「周りの人を悲しませないために本人は生き地獄を味わい続けろって何なの?鬼なの?

と思っていたのです。

だからわたしは、

「人に死んじゃ駄目だよなんて、わたしには簡単に無責任に言えないな」

とずっと思っていました。

 

でも、いまは違います。

「死にたいくらい辛い苦しいことからは、

 全部逃げてでもいいからあなたに生き延びてほしい。あなたに生きていてほしい」

と、心から思います。

 

普通の人から見たらダメな人生だって、案外悪くないものです。

生きていれば絶対に楽しいことがあるなんて綺麗事は言えないし、

死ぬことだけが本当に救いの場合だって、あるのかもしれないけれど。

それでもなんとか逃げられるのなら逃げ伸びて欲しいと思います。

 

 

・・・こんな話を、彼女が生きている時にできたらな。

 

 

わたしが辛いとき、

わたしをいつも救ってくれたのは、音楽や本や映画でした。

その世界に浸ることで、いつも「これだけあれば生きていけるかも」と思わせてくれたのです。

芸術家、クリエイターは偉大です。

だからわたしも同じように、

作り手になって、誰かの心の何かになりたいと、願ってしまうわけなのです。

 

 

きっと死にたいと思ってしまう人は、

別に本気で死だけを望んでいるわけではなくて、

なにかの苦しみから解放されたかったり、

楽になりたかったりしてそういう発想になっていることが多いと思うので、

周りの人はぜひ「死ぬなんてよくない」という頭からの否定ではなくて、

本人の悩みをどうやったら解決できるのか、楽に考えられるようになるのか、

無理な場合はどうやればそこから逃げ果せるのか、

という方向性で寄り添ってくれたらありがたいのではないかと思っています。

うっかり死にたくなってしまう側からのお願いです。

 

 

彼女のお通夜で読経してくれたお坊さんが、

「焼香の白檀が家に帰っても喪服から髪からまた香り、

 その時あなたが何を思うか何を学び取るか」

というようなお話をしてくれたのですが、

わたしが思ったのはこんなことでした。

 

 

ひとが亡くなって四十九日は、まだこちらにいるそうですね。

いつものように、あなたにブログの感想が聞きたいなと、わたしは思っているよ。