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いつきの半目ブログ

極貧で神社育ち、難病持ち、クレイジー家族持ち、オタクのいつきがなんやかんやを書くブログ

SMAPが解散するとファンでもないのになぜ悲しいのか問題について。

こんにちは、いつきです。

 

続、SMAP記事をご容赦ください。

今回はSMAPが解散するとファンでもないのになぜ悲しいのか問題について、です。

 

正直ゲスさんとベッキーさんの不倫問題については、
興味があるのは「LINEのスクショの流出経路」くらいであって、(センテンススプリング誌は嫁ではないと言っている)
わたしが興味深いのは「なぜSMAPが解散するとファンでもないのに悲しむ人が多いのか」ということです。

別にSMAPの歌なんて有名な曲しかしらないし、
もちろんコンサートだって行ったことないし、
誰かが出てる番組を追いかけてるわけでもないんだけど、
でもなぜか、メンバーの顔も名前もキャラクターも、我々は非常によく知っていて、
きっとそれは、SMAPの活躍歴の長さと、コンスタントなメディア出演の賜物なんだと思う。
なんとなくつけたテレビ番組にSMAPが出ていて、それぞれが何かを喋って動いている。
ほんの少しずつのその情報の蓄積が、いつの間にかわたし達の中に「誰でも知っているSMAP」を作り上げた。
テレビやラジオなど、メディアに出ないことがないSMAP
いつも誰かがバラエティーやドラマやCMで、或いは映画や歌番組で、
それぞれのキャラを発揮しながら笑顔で活躍をしてくれていた。

そんなSMAPが、ある日突然「解散」して「なくなる」という、
漠然とした不安と恐怖と悲しみ。
それらの感情はなぜ起こるんだろう。

 

メンバーが事故を起こして逮捕されたり、(「稲垣容疑者」と呼べないメディアが「稲垣メンバー」という呼称を考えた時は笑った)
事件を起こして逮捕されたりしていたけれど、(全裸で逮捕されるアイドルってきっとこの先も誰もいない)
それでも復活してきてまた活動再開ってなった時には、
「よかったね〜」と思った人はとても多いと思う。
でもその「活動自粛中」のあいだには、
ファン以外では特別不安感や悲しみを覚えた人はそんなにいなかったんじゃないだろうか。

 

ではなぜ「解散」がこんなにも悲しいのか。

 

きっとそれは、
笑っていいとも!が終了」が悲しかったのに、すごくよく似ている。


いいともが終わる、と聞いた時、
衝撃を受けた日本人はきっととても多かった。
別にいいともだって、
平日毎日お昼にやっていることは知っていても、
それを特別いつも見てたわけではないし、
週末のいいとも増刊号だってわざわざ見てたわけでもないんだけど、
たまたま平日休んだ日の昼とかに目にすることがあったり、
時々やるスペシャルを見ることがあったりして、
そこで「変わらず続いてくれているもの」を目にする安心感があった。
番組の内容どうこうというより、
「ただ変わらず続いて毎日やってくれている」ということが、
平和な日常を感じさせる安心感になっていた。

 

そんないいともが終わると聞いた衝撃。
最終回はわたしは家族と一緒に見ていて、
最後の最後まで、なんというかタモリさんはタモリさんで、わたしはとても大きな喪失感を感じた。

 

SMAPがいなくなるということは、
きっとその喪失感にすごくよく似ている。

 

SMAPが出ている番組を特別追いかけていなくたって、
活動を追っていなくたって、
「なんとなくSMAPが活躍し続けてくれている」
ということは、
特別な何かは起こらないけど、それでも平和な日常が続いているんだなあ、という安心感を、
どこかもたらしてくれている部分がきっとあったんじゃないだろうか。

 

SMAPが解散すると悲しいということは、
平和な日常がこれからも変わらず続いていくだろうという安心感の喪失、
というところに多分ある。

 

長く続けるということは、
もうそれは誰かにとって日常になる。
関わるひとが多ければ多いほど
多くの人の日常になる。
SMAPの存在はもはや多くの人にとって日常だった。
SMAPが解散するということは、それだけ多くのひとの日常が奪われるということ。
わたしたちは多分、至って普通の日常が奪われることに悲しみを覚えている。

 

きっとこれからSMAPが変わらず活動してくれたとしても
私たちは、あの生放送で見た、
気分の悪くなるようなみんなの表情が脳裏に蘇り
今までと同じような気持ちでSMAPを見ることはできないだろう。
そういう意味でもう、SMAPは終わってしまったんじゃないのかな。
わたしたちからある種の日常はもう既に、奪われてしまったんじゃないだろうか。

別にきっと他の何かで、
いつの間にかその失われた日常も埋もれていくんだろうけど。


メディアがSMAPのことやゲスベッキーさんのことを報じすぎて、
大切なニュースを全然報じないとか言うけれど、
わたしはもうテレビも新聞も信じていないのでそこはけっこうどうでもいい。
必要な情報は自分で探しに行くし。
でもどうして政治の話にみんな耳を傾けたがらないかというと、
いまの人たちの想像力が極端に欠落してしまったからなんだとおもう。
流行りのJ-POPの歌詞の震え具合、会いたい具合、守りたい具合に象徴されるように、
直接言われなければわからないひとが増えているんだと思う。
わたしは昭和歌謡の歌詞の表現のうまさを見た方が震えがきますけど。

だから難しい政治問題は、自分の身に起きた後の想像がつきづらいから興味がな他人事なんだと思う。

そりゃーそれよりSMAPが解散したあとのテレビのことの方が想像しやすいもんね。
でもわたしはその想像力のなさすらも、
作り上げてしまったのはメディア(つーかテレビ)なのではないかと思うのです。
そんでテレビ離れとか起こってるというのだからなんというか業が深いですね。

 

でも結局テレビの持つ力というのは未だに絶大なものなのは間違いないとおもうので、

大人の力の働かない、

誰もが見たくなる報道の番組を作ってくれたらいいのになあ、
とかと考えている日曜の深夜です。

 

明日(てか今夜)はスマスマだ。
今夜のSMAPSMAPだろうか。