半目日記

早く全目になりたい

無職の父と賢者のいつき

こんにちは。いつきです。

 

無職だった父の話です。

 

いつきの父はわたしの記憶のあるいちばん昔から、

もう、既に無職でした。

幼少のいつきは、「お父さん」という生き物は、「家にいるもの」なのだと思っていました。

なんなら、友達の話を聞いて、

「へえ〜〜、◯◯ちゃんのお父さんって、普段おうちにいないんだね!

みたいなくらいに思っていました。

友達側からしてみれば、

「へえ〜、いつきちゃんのお父さんって、普段ずっとおうちにいるんだ・・・」

と思っていたことだとおもいます。

そう、いつきの父はずっと家にいました。

いつきの父は働いていなかったのです。

 

なぜいつき父が働いていなかったのかというと、

それも語ると長いので別のエントリーで書くとして、きょうは

お父さんが無職だった方にはよくおわかりいただけるであろう、

父が無職あるある

をご紹介したいとおもいます。

 

・父が無職あるあるその1、「いつも家にいる。

当然ですが、父が無職の場合、父はやることがないので毎日家にいます。

わたしが学校に行く時も、帰ってきてからも、

残念ながら父はずっと在宅しています。

「ずっと家に居るとか、その間お父さんは何をしているの?」

とか聞かれたこともありますが、

神社付近で攻撃してくる親カラスをなんとかするため子カラスを川に移動させたり、

(くわしくは前の記事をみてみてくださいね)

秋は境内の落ち葉を拾ったり、

冬は参拝路の雪かきとかをしていたり、

主に神社の管理人業務をしていたんだろうとおもうのですが、

具体的に普段父が何をしていたのかわたしはほとんど覚えていないですね。

 

・父が無職あるあるその2、「子どもの歯をやたら抜きたがる。

暇だからなんでしょうけれど、

父が無職だと子どもの乳歯をやたらと抜きたがります。

なんか、子どもが「歯がグラグラしてきたよ〜」と自己申告したら抜きたがる、

とかの領域は超越して、

週に数回は子どもの口を無理矢理開けさせたうえでの、

グラグラしてる歯がないかチェック

という、地獄のような時間があったのです。

万が一発見されようものなら父愛用のペンチでその場で歯を抜かれるため、

子どもたちはそのチェックタイムに怯え、

少しでもグラグラしている歯があろうものなら泣きながら自分で抜いていました。

 

・父が無職あるあるその3、「食べものをもらうことが多い。

無職でそもそもどうやって生計を立てていたのかも未だにいまいちよくわからないのですが、

やたらと食べ物をもらうことが多かったのを覚えています。

魚、とか、野菜、とか、素材そのままでもらうことも多かったのですが、

パンとか和菓子とかもよくもらっていましたね。

それぞれ知り合いがくれいていたと記憶しています。

ちなみに衣類もほとんどもらいものでしたので、

いつきは真っ赤な下着を小学校一年生の時点で所持していました。

 

・父が無職あるあるその4、「薪ストーブは『触ると死ぬ』と脅す。

神社内のいつき一家の居住スペースのストーブは薪ストーブだったのですが、

ストーブ本体そのものがすごく熱くなるので、

子どもにストーブがいかに危険なのかを教えるのが面倒だったからなのでしょうけれど、

ストーブは触ると死ぬから触るな

とよく父に言われていました。

子どもは「さわると死ぬのか・・・」とおもうとやっぱり触らないものです。

かわいくないわたしは、「ほんとに??」となって、

いつか、おそるおそるおもちゃの刀越しに薪ストーブに触ってみたとき、

おもちゃの刀の先端がじゅわっと溶けた(プラスチック製だった)ので、

「ストーブに触ったら、わたしもこうやって、じゅわってなるんだ・・・」

とおもったらこわくて触れませんでした。

ちなみに、うちの薪ストーブは柵?囲い?があって、

無理に触ろうとしなければ触れない安全システムが採用されていましたが、

母方の祖母の家の薪ストーブは何の安全装置もなく丸裸だったので、

この人たちはなんて危険な暮らしをしているんだろう

といつきは常々おもっていましたし、

祖母宅のいとこ達と室内を遊び回るときはいつも気分的には死と隣り合わせでした。

 

・父が無職あるあるその5、「テレビのリモコン代わりに長い木の棒を使う。

いつきが幼い頃、既にリモコン式テレビが当然の時代でしたが、

神社には画面の下にスイッチでチャンネルを変更する仕様のテレビしかありませんでした。

チャンネルを変えるためには直接テレビのスイッチを押す必要があったのですが、

テレビからいちばん遠い位置に「定位置」を置いていた父は、

テレビのチャンネルを変えるためだけに、

すごく長い木の棒を巧みに操作していました。

あれはいま思えばあの棒は長さ的には2mを超えていたのでないでしょうか。

それを両手で持ってチャンネルを変える父。

毎回釣りみたいな絵面になっていたとおもいます。

本当は、長い木の棒さえあれば世の中にリモコンなんて要らないのです。

 

・父が無職あるあるその6、「途中からアルバイトを始める。

きっと「そろそろ限界だな」とおもったのでしょうが、

父はある日からアルバイトを始めました。

週に三日か四日くらい、

夜だけ飲食店で働いていました。

就業形態や勤務日数などに疑問が残るきもちはお察ししますが、

ご安心ください、わたしも疑問でした。

いつきは父がいないと兄弟が家でのびのびできたので、

(というか主に好きなテレビが見れたから)

「父がいない日がもっと増えたらいいのになあ」とおもっていました。

 

 

さて、お届けして参りました、「父が無職あるある。」

みなさんの無職のお父さんには、

いくつ当てはまったでしょうか?

4個以上当てはまった方は、

もう少しで一家に神社に住んでいた可能性がありますね。

 

ちなみにいまは父はギリギリなんとか普通に働き、

結露が酷すぎて、カビだらけで壁が割れ放題の家に住んでいます。

春にはうちの周りだけなぜか雪がぜんぜん溶けないという特徴もあります。

もしかしたら何かしらの呪いがかかっているのかもしれないですね。

 

そうして、父が無職だったせいでいろいろなことがありすぎたり、

「お父さんとお母さんが死んだらお兄ちゃん(知的障害がある)の面倒みてくれよ」

重すぎることを幼少から言われ続けて育ったいつきは、

「わたし、お金、稼ご。」

と思い続けていまに至ります。

 

結局そんなにたくさんのお金はべつに要らないのですが、

普通に暮らしたいと願うレベルはLv95(MAXはLv100)くらいだとおもいます。

いつき的普通の基準ですが、

とりあえず家はお風呂があって、壁が割れ放題ではなくて、

神社以外がいいですね。