半目日記

早く全目になりたい

初めてづくし。

こんにちは、いつきです。

 

おしりが痛くなりすぎて難病が発覚した話、その3です。

 

〜前回までのあらすじ〜

中学2年生のオタク女子いつきは、

おしりが痛くなりすぎて初めて行った肛門科で即手術を受け、

「ほぼクローン病だから検査してこい」と言われるが・・・・・・

 

ということで、

肛門科の先生にクローン病にくわしい病院を紹介され、

いつきはクローン病かどうかを調べるため、

ありとあらゆる検査を人生で初めて受けることになりました。

胃カメラ、大腸カメラ、バリウム造影検査、CT、MRI、エコー・・・

と、検査のフルコースでおなかの中を探られることに。

 

CTとかMRIとかエコーとかは全然、まったくもって辛くないのですが、

胃カメラと大腸カメラ、

そしてバリウムが死ぬほど辛いんですよね。

 

経験したことがある方ならお分かりかと思うのですが・・・

結構本気で割としんどいですよね、あれ。

 

ということで、

唐突ですが、ここでいつき的「しんどい検査ランキング」を発表したいと思います。

 

第3位、胃カメラ

胃カメラも、上位二つに比べればそんなにしんどくもないんですけど、

何が辛いって、あの検査前に麻酔をかけてる時が辛い。

 

麻酔のかけ方は病院によっても多少違うんでしょうけど、

わたしの場合は、

上を向いたままアーンの状態で喉に麻酔のジェルを入れられ、

 それを飲み込まずにそのまま15分くらい待つ

という方法だったのですが、

まずジェルがものすごい苦い

この時点でもう辛い。

そして喉のけっこう奥に入れてるので、

喉が生理的にそれを飲み込もうとしちゃうんですが、

もちろん飲んではいけないのでそれは我慢しなくてはいけないのでそれも辛い。

そして何より、

わたしは副鼻腔炎も患っていて、

上を向いていると鼻水が喉のほうに流れていってしまうので、

もう口でも鼻でも呼吸することができなくなり、

苦っ!苦しっ!てか苦っ!苦しっ!息!呼吸!!死ぬ!!!苦っ!!!!!!

っていうのが15分続くんです。

そしてそれに耐え抜いてやっと胃カメラ本番になるんですけど、

喉にカメラ入れられる時、

普通にめっちゃ痛いんですよ。

麻酔の!意味!!!

さっき死にかけた意味!!!!!!!

ってなりましたね。

でも検査自体は割とすぐ終わるので3位というところでしょうか。

 

第2位、「大腸カメラ

大腸カメラの何が辛いって、

腸の中身をからっぽにするために、

まずい下剤を2リットル飲まないといけないというところが辛い。

そして飲んだら飲んだ分、

当然下から出てくるというところも辛い。

どんどん水がおしりから出てくる感になるんですよ。

思い出してください、ひどくおなかを下している日のことを

おしりから水状のものが出続けたら、

普通のひとでもおしり、痛くなりますよね?

こちらはただでさえ、

先日おしりの手術を受けたばかりの繊細なおしりを持つ者ですからね。

これはもう、この時点で、かなりの地獄でした。

そして、この痛い部位にこれからカメラを入れるのかと思うと、

わたしは恐怖で震えました。

会いたくて震えることはないけど。

恐怖で、震えました。

 

そして腸の中がからっぽになると、

いよいよ大腸カメラ本番になるのですが、

おしりに穴の空いた紙パンツを穿かされ検査室に入り、

ベッドの上に横になり、やや眠くなる麻酔的な薬を打たれて検査が始まります。

この薬のおかげで意識がぼーっとするんですけど、

おしりにカメラが挿入されるときは、やはり

「うぎゃーー!!!!」

と叫ぶくらいに痛いわけです。

もうね、本当に、痛いわけです。

そして腸の中を見やすくするために、カメラが進むとともに、

腸の中に空気も入れて腸をパンパンに膨れさせるんですけど、

これが、

腸が破裂する?!!?!!!??

って思うくらいに空気を入れられるのでめっちゃ痛いんです。

もうおしりは痛いし、腸は破裂しそうで痛いし苦しいし、

しかも全然終わらないし、で、本当にすごく辛い。

そして検査が終わったあとは腸に入れられた空気でおなかが張りすぎているので、

おなら的なものを出し続けなければ苦しみが終わらないというところも地味に辛いところです。

ということで、大腸カメラは、第2位、ですね。

 

そしてしんどい検査ランキング、堂々の第1位は・・・

小腸造影バリウム検査

です。

簡単に説明すると、

クローン病は小腸が狭くなっているところがあるからそれをバリウムを飲んで外からカメラで見るよ!」

という検査です。

バリウム、飲んだこと、ありますか?

わたしはあれを思い出すだけで吐き気がし、

食欲がなくなり、ダイエットに効果をもたらすほどに、

とにかく大嫌いです。

見た目的には白くて、不透明で、ちょっととろみもあって、

濃すぎる生クリームみたいな質感の液体なんですけど、

そして香りも人工的につけてあるんですけど、

一口飲んだだけで脳みそが

これは人間の飲むものじゃない!死ぬぞ!!!

という指令を発してきて飲むのを体が拒否するんです。

でも飲まないと検査が進まないから泣きながら飲むわけじゃないですか。

それで検査台みたいなのに乗っかって、

色々な角度にされてごろごろ滑りながら体勢を変えたり、

台から出てきた棒でおなかを押されたり(これが痛い)しながら検査を受けてたんですけど、

検査の係りの人に、

バリウムが下っていくのが早すぎてみたいとこが見れなかったからもっかいバリウム飲んでくれる?

って、言われたんですよ。

さっき!

あんなに泣きながら!飲んだのに?!??!?!

ってなって、

わたしはもうバリウムで気持ち悪いし、

検査でおなか押されて痛いし、

痛いし気持ち悪いしでもう飲みたくないよ!!!

ってなっていたので、「いやだ!」というようなことを言ったとおもうんですけど、

そしたら

「うんうん嫌だよね、じゃあ胃まで管を入れるからそっからバリウム流すね

ということになって、

よくわからないうちに口から胃まで管を入れられることになったんです。

管、って言ってもあれですよ、

全然細くないですからね。

子ども用のプールを膨らませるとき、

使う道具あるじゃないですか。

あれの、ポンプとプールをつなぐやつくらいの太さの管を、

いつきは口から挿入することになったんです。

そしてあれですよ、胃カメラのときと違ってノー麻酔ですからね、

喉に入れようとしても、喉の反射でおえっ、おえってなって、

もうこの時点で涙目なわけです。

なんとかかんとかおえおえっとなりながらも管を飲み込んで飲み込んで胃まで到達させて、

そしてそれからバリウムを流し込むんですけど、

どうやらうまいこといかなかったみたいで、

「じゃあこのままちょっと待っててくださいねー」

と言われて、

わたしは暗い検査室の中でひとり、待たされることになったのです。

 

暗いし寒いし気持ち悪いしお腹も痛い。

喉にある管のせいでずっとおえっおえってなる反射が止まらない。

その反射が出るたび、涙が出る。

検査の係りの人は「ちょっと」と言ったのに、

全然戻ってきてくれず、

わたしはどのくらい長い間その検査室にひとりでいたのかわかりませんが、

わたしはあまりに辛くて検査台の上で泣いていました。

その涙は、吐きそうになる反射のせいだけではありませんでした。

 

わたしは暗い検査室の中で、

どうしてこんなことになっているんだろうと考えていました。

いまは同級生の子たちは学校で授業を受けているはずの時間。

それなのにわたしはどうしておしりが痛くなって、手術をして、

難病かもしれないと言われて、

こんなに苦しい検査をしているんだろう。

先生はクローン病ほぼ間違いないって言ってたな、

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

わたしは何か悪いことをしたかな。

わたしがいい子じゃなかったからいけなかったのかな。

考えても思い当たらず、わたしはからだの苦しさと不安も相まって、涙が止まりませんでした。

 

そしてどれだけの時間が経ったかわからないくらいの長い時間のあと、

「はいじゃあ検査を再開しますー」

と突然言われ、何事もなかったみたいに検査は再開され、

また色々な体勢でおなかをぐいぐい押されてわたしは結構本気で死ぬかと思いました。

検査が終わったあとにはドラクエで言うところのHPが赤くなるくらいには瀕死でしたね。

いまならスライムと戦っても死んじゃう、ってくらいのあれです。

わたしが検査室から出たとき、これから同じ検査をすると思われる、

既に瀕死のおばあちゃんがいたんですが、

あのおばあちゃんは検査を最後まで受けられたのか、未だに気がかりです。

 

そしてそんな検査のフルコースを終え、

いつきはやはり

クローン病で、間違いないね!」

と、難病宣告を受けることになりました。

 

クローン病とのお付き合い編は、また次回に。

クローン人間とかではない方のクローン。

こんにちは、いつきです。
前回からの続き、「おしりが痛くなりすぎて難病が発覚した話」その2です。
 
 
〜前回のあらすじ〜
中学二年生のオタク女子いつきは、
お尻が痛くなりすぎて人生で初めて肛門科に来たのにも関わらず、
その場でいきなり手術することを告げられるが・・・
 
 
そんなわけで、いつきは先生にあっさりと手術を告げられ、
手術室?的なところに連れて行かれたのですが、
ここがまた、「本当にここで手術するの?」ってくらいに、
至って普通の部屋なのです。
さっきまでいた診察室と、ほぼ何も変わらない。
いつきはじんわりとした不安を覚えました。
 
そしてそこで下半身の衣類を全て脱いだ状態でベッド上でうつ伏せにさせられ、
「さあいよいよ手術!」
という段階になり、
初めて看護師さんたちによって行われた処置は、
おしりほっぺの左右両方を、ガムテープで止める。
というものでした。
 
ガ?!
ガムテープ?!!?!
 
純粋な困惑がいつきを襲いました。
だって、イメージしていた手術となんか違う。
テレビや映画で、患部をガムテープで固定されて手術してるシーンなんて、見たことない。
「なんなんですかこれは!?!」
心の中で叫ぶいつき。
ビリビリッ
と響き渡る、ガムテープを破る音。
おしりほっぺを両方から引っ張られ、
おしりをオープン状態にさせられ、
ベッドの両端にガムテープで固定される、わたしのおしり。
 
おしりの扱い、雑すぎるだろう・・・
ということがすごく悲しかったのを覚えています。
 
そしてガムテープでおしりを固定され、
「ちょっと待っててくださいね〜」
と言われて看護師さんに放置された、このときに、
わたしの羞恥心は多分、
九割方死滅したのだとおもいます。
いろいろと丸出し、ですからね。
 
初めての手術が痛かった辛かったとかより、
この「ガムテープ事件」がものすごく頭に残りすぎていて、
肝心の手術内容はあまり覚えていないのですが、
全身麻酔とかではないので、
はっきりと意識がありますし、
痛くはなくても感覚はあります。
歯医者さんの麻酔と治療的な感じが近いです。
なんかおしりをたくさんグイグイ押されているうちに、手術は終了した気がします。
 
そして痔瘻の手術は終わり、
わたしは腫れて膿が溜まっていた部分を切開し、
そこから膿が出続けるようにおしりに管を入れられました。
 
大事なことなので二回言いますね。
いつきは、
おしりに管を、入れられました。
 
ちょっと何を言ってるかよくわからない、
と思われるかと思うのですが、
傷口から膿が出続けるように管を装着(しかもおしりに)、
って、痛くないわけがないですよね。
「手術後もずっとめっちゃ痛い手術をした
ということだけ理解していただけたら充分かと思います。
 
そして手術ののち、先生は割と普通のテンションで、
「これは痔瘻という痔なんですけど、普通は年配の男性しかならないやつで、若い女性がなるのはほぼクローン病なので病院に行って検査をしてください。」
と言いました。
 
クローン・・・病・・・????
 
あとから看護師さんにクローン病の簡単な説明と、
「食事を守ることが絶対に大事なのでこういうものは食べないでください」
と、食べてはいけないものが書かれた紙をもらったのですが、
「これを除いたらわたしは何を食べて生きていけばいいの??霞????
というくらいに、見事に食べてはいけないものだらけ、でした。
 
病院からの帰り道、わたしはおしりの痛みと戦いつつ、
病気かもしれないと言われた不安とも戦っていました。
向こうは痛みと不安で、2。対してこちらはいつき、1。
2対1。
勝てる気がしない。
 
いつきは日を改めて、
クローン病かどうかの検査をしに行くことになりました。
 
初めての大腸検査編は、また次回に。

お尻が痛くなりすぎて難病が発覚した話

こんにちは、いつきです。

 

タイトルの通り、おしりが痛くなりすぎて難病が発覚した時の話です。

 

わたしは元々、思い出せる限りの幼い頃から、

胃腸が極端に弱い子どもでした。

焼き肉とか脂肪分の多い食事を食べたらお腹を下すひとはそこそこいるのではないかとおもいますが、

わたしは麦茶とか牛乳とかを一気のみするだけでおなかを下すレベルでした。

どんなお腹。

弱すぎですよね。

胃腸の弱い山根くんもびっくりの弱さ。

 

なので、自分がいつの間にかうっかり難病になっていたときも、

最初は全く気がつかなかったのです。

そう、お尻が痛くなりすぎるまでは。

 

当時わたしは14歳で、中学二年生で、

オタクばかりが集う美術部で、

美術室で部活動と称してオタク活動をしたり、

主に雑談をしたりしていました。

 

授業中の記憶は殆どなくて、

思春期真っ盛りの女子は、普通なら、

神社に住んでいるという恥ずかしいことは学友たちにはバレたくないものだと思うのですが、

中学校の道路を挟んで隣が神社だったため、

隠すということはほぼほぼ、というか完全確実に無理な状況でした。

なので「いつき神社」と呼ばれていじめられていました。

わたしは神社ではないのに!

 

そんな日々の中、わたしはある日、

突如としてお尻に違和感を覚え始めます。

「あれ?なんか、腫れてて、痛いような気がする・・・?」

と。

 

しかし、そこはオタクとはいえども、思春期真っ盛り女子。

「お尻に異変だ-!」

などとは、やっぱり簡単には人に言い出せませんよね。

 

そこで、一応思春期真っ盛りだったいつきは、

とりあえず、

ひたすら我慢する

という選択をします。

 

そうするとですね。

当然なんですけど、どんどんお尻の異変部位が、腫れ上がっていくのです。

 

ちょっと、ここからはもう少し詳しく説明しないと分からないですよね。

お尻お尻、と言っていますが、

腫れ上がりはじめたのはお尻ほっぺたの部分ではなく、

お尻の穴的な部位のあたりです。

 

ちょっとリアルな話題でいつきのアイドルイメージを崩すといけないので、

かわいいお尻のイメージ画像を置いていきますね。

 

 

 

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おしり。(画像はイメージです。)

 

 

 

「もしかしたら明日には良くなっているかもしれない・・・今日さえ、今日さえ耐え抜けば・・・」

と、毎日毎日、

どんどん腫れ上がり続けるお尻の腫れ物の痛みと闘い続けるいつき。

その部位は日に日に確実に悪化していき、

かなりの熱を持ち、明らかに中に膿が溜まっている感じがわかるようになります。

できもの特有の、「放って置いたら破裂して中身が出て楽になりそうな感」もあることはあるのですが、

我慢出来ないからつついてみようか??いやでも怖いから待とうか??!いや、しかしでも??!!?!????

と正常に考えられないほどの痛みが日夜を問わず、襲い続けるのです。

ダイレクトに。

いつきの。

お尻を。

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おしり。(画像はイメージです。)

 

 

我慢に我慢を重ねてもみましたが、

放っておいたらそのうち破裂して楽になるのかもしれないけど、

でもその前にわたしはお尻の痛みで発狂してしまうかもしれないな

と、わたしは割と本気で思いました。

そして、

「お尻が痛くて発狂した人として名を馳せるのは嫌だ」

と思ったわたしは、そうしてついに腹をくくり、

親に告げることにしたのです。

お尻が腫れ上がって、どえらいことになっているようだ

と。

この頃にはもうあまりの痛みに、

家では常時うつ伏せの体勢でしかいられなかったと記憶しています。

普通に座るなどということは、

いつ爆発してもおかしくない爆弾をお尻に抱えたいつきにはもう不可能でした。

 

しかしそれだけの我慢を重ね、

決死の覚悟で親に告げたというのに、

母親のリアクションは、

ほっといたらよくなるんじゃない?

という劇的に薄いものでした。

「アホ!相当ほっといたけど全く良くなってないから言っとるんじゃ!!」

というようなことを言い続け、

やっとこ母は仕方なしに病院を探してくれました。

お尻の。

病院を。

 

肛門科

という響きって、もうこれ以上ないくらいに恥ずかしい科な訳です、14歳女子にとってみれば。

わたし、まさか自分が14歳にして肛門科の病院の扉をくぐるとは思っていませんでしたよ、

思ってる人もあまりいないでしょうけど。

 

そしてついに母が探し出してくれた病院に辿り着き、

待合室に入ると、わたしは思わず待合室にいる人たちをこっそり隅から隅まで眺めてしまいました。

「ここにいる人たちはみんな、もれなくお尻に爆弾を抱えているのか・・・」

と思うと、もう相手が老若男女関係なく、

握手を交わしたい気持ちになったのをとても覚えています。

初めて会ったのに仲間意識。

戦友の感じがしましたね。(一方的に)

 

 

そして長いこと待たされ診察室に入ると、

衝撃的なポーズでベッドの上で待つことを指示されます。

下半身の衣服と下着を全て膝まで下ろして、

お尻を突き出して「く」の字のようにして待つのです。

先生が来るまでは腰にバスタオルをかけておいてもらえはするんですけど、

この体勢は恥ずかしい、のレベルを超越していました。

そして先生がやってきて簡単にわたしをお尻を診察し、

「はいちょっと痛いですよー」

と言って、わたしは何が起こるか察知するまえに、お尻の穴にぐいっと指を入れられていました。

うぎゃー!!!

とリアルに言った気がするくらいの激痛で、

「いきなりなにをするんじゃ!!」

と涙目になりながら思っていたら、先生はさらりと言いました。

「これは痔瘻だね。手術します。」

と。

 

しゅ・・・じゅつ・・・?????

 

いつきは初めて行った肛門科で、

いきなり人生初めての手術をすることになりました。

 

長くなってしまったので、

はじめてのお尻手術体験記は次回に続きます。

お詫びと訂正

こんにちは、いつきです。

 
うっかり前回の記事が過去最高のアクセス数、fbシェア数になり、
「恋愛記事は人気なのかな?ドライ彼氏日記ブログでも更に始めようかな?」
とかとはじめはとっても脳天気なことを考えていたのですが、
見て頂く方が増えていくにつれ、
その彼氏大丈夫?
と割と本気の心配をされる、という事態が出てきてしまい、
改めて自分でも記事を読み返してみると、
「これは、心配もされるな・・・」
と思い、わたしはマリアナ海溝(10,863m)より深く反省しました。
 
わたしのつい、悪い癖で、面白くすることばかりを最優先に考えてしまい、
彼へのフォローがほぼない、
まるでただの彼氏disり記事のようになってしまっていました。
まさかの公開dis状態。
 
ごめんなさい、彼氏。
そして心配させてしまった方々。。
 
でも、そんな記事を読んだ彼氏がくれた感想は、
「おもしろかったよ」
というお褒めの言葉でした。
 
 
や・・・
やさしい・・・・・・(感涙)
 
 
そう、彼氏はややちょっとばかり変人ではありますが、
とても優しい人なのです。(そして柴犬に似ています。)
恋愛感情がほぼ死滅していることを強調しすぎて彼の優しさエピソードを盛り込みそびれましたが、
それを補ってあまりあるくらいには優しいのではないかとおもっています。
 
付き合いはじめた当初は、
あまりにも好かれている実感がなく、
わたしは太陽と付き合っているのだと思おう
という悟りを開きかけており、
(太陽は燃えるという活動に忙しく個人を構ってくれないですが、地球上の生物をほぼ生かしている素晴らしい存在です)
「太陽に好かれていると思うことが出来ればわたしも彼に好かれていると思えるはず・・・」
と割と本気で考えていました。
やばいやつですね。
 
でもですね、ふと、
そもそもが、
わたしが「わたし基準」でしか好かれているかどうかを判断していなかった部分もあるなと思ったのです。
 
そもそも彼のことは何年か前から知っており、
昨年わたしはうっかり失恋で傷心していました。
わたしは自信のなさ由来で男性を見る目がなさすぎて、
昨年『猛烈にアタックしてきたが全くタイプではない人』と付き合うことにしたのですが、
「わたしは難病持ちの上両親クレイジーなんだけどそれでもいいかな」
と付き合う前にも確認し、
「それでもいい」
というので付き合ったのですが、その人が
「いつきの家族に会いたい」
というので会わせたところ、
あんな頭のおかしい父親は要らないし、やっぱり健康な子どもが欲しいので別れよう
と言われて秒速で振られるという面白失恋をしていました。
その話をふんわりと飲み会の席でしたところ、
いまの彼氏は、
「!?ちょっとそれは・・・まじで酷いですね・・・」
と少し驚きつつ神妙な顔で「本当に酷い、有り得ない」、と言ってくれたのをよく覚えています。
 
そしてそんな経緯を知っていて、
なおかつなぜかこのブログを読んでいてくれた彼氏は、
わたしの面倒臭さの集大成並のスペックを理解してくれていたにも関わらず、
それでもわたしと付き合ってくれたという点は、
もはや水嶋ヒロか彼かというくらいにイケメンではないかとわたしは思っているのです。
 
そのほか、具体的に優しさを感じたエピソードをご紹介させていただきますね。
 
その1.「インターネットを活用する。」
彼はわたしに何かを訊いてくるということも特になく、
ふと病気のこととかどう思っているんだろうと思い、
「病気のこととかきかないねえ」
と言ってみたことがあったのですが、
「ああ、インターネットがあるからね」
と、彼はわたしの病をインターネットさんで調べてくれていました。
インターネットには大体のことが載っていますからね。
彼氏に好かれている気がしない場合の気の持ちようも載ってますからね。
分からないことはネットに聞くのが簡単、スピーディー!
何も聞かれないからと言って心配する必要はなかったのです。
 
その2.「女性特有の症状にとても寛容である。」
わたしはいわゆるPMSの生理前鬱の症状が重すぎて、
生理前になるととんでもない精神状態になります。
簡単に言うと、朝起きた瞬間から世界が真っ暗になっており、
ちょっとしたことで「もう全部だめだ、消えたい・・・」
と本気で考えてしまうという超絶面倒臭い性質を持っています。
そんな時にはつい、彼氏にも有り得ない方向性からいちゃもんをつけ、
感情的に泣いたり喚いたりしてしまうことがあるのですが(ほんとうにごめんなさい)、
そういうときも、彼は大体流してくれます。(最初は爆笑していました)
そして嵐が過ぎ冷静になってからひたすら謝り倒すわたしに、
慣れたから大丈夫だよ
と慣れもしないだろうに言ってくれるのです。
神なのかな・・・?って思います。
こういうのを理解できずにキレる男性も普通にいるとおもいますし、
理解できなくて当然だともおもうので、
理解を示してくれるところは優しすぎる上、本当にありがとうとしか言いようがありません。
そしてそんなことを、
「それってフツーのことじゃない?」
と言い、彼的には至って普通のことであると思っている点も、
わたしは彼のリスペクトせざるを得ないところだとおもっています。
 
その3.「繊維の入っている料理に気付かず悔しがる。」
わたしのお誕生日当日、彼は多忙を極めており会えないと踏んでいたのですが、
彼は「余裕がなくておしゃれなレストランとか調べられずにごめんね」と言って、
デパ地下ごはんをたくさん買って待っていてくれました。
わたしの好きなエビの入ったお料理を多めに買って、待っていてくれたのです。
(わたしはエビが好きすぎてエビになりたいくらいにエビが好きです)
ですがわたしは持病の関係で繊維質が多めのものを食べることが出来ず(食べると腸閉塞になりのたうち回ります)、
繊維さんをよけて食べていたのですが、
それに気付いた彼は、
「?!くそっ、これ、繊維だったか・・・
と静かに悔しがっていました。
お料理しない男性には分からなくても仕方ないでしょうに、
彼はそういうことも考えてごはんを選んでくれたんだなあ・・・
と思うとわたしはとってもジーンとしました。
ちなみに彼はごはんを食べ終えると、
「さて、もう一仕事するかな」
と言って会社に帰っていきました。
彼はお仕事が大変な時なのに、わたしを誕生日当日にお祝いするために、一旦会社を抜けてやってきてくれていたのでした。
彼氏よ・・・・・・(涙)
となりました。
そして誕生日プレゼントには、
「プレゼントはお鍋をあげたいと思ってるから自分で買わないでね」
と前から言ってくれていて、
わたしがお料理をするたびに「もう一個お鍋が欲しいな・・・」と言っていたのを覚えていてプレゼントしてくれました。
予算をこえていたにも関わらず、
おいしいごはんをもっと食べれたら俺も嬉しいから。大は小を兼ねるでしょ
と言って、二人分のお料理には少し大きめの、いけてる素敵なお鍋を買ってくれました。
 
・・・・・・さて、お気づきでしょうか?
愛情を感じる瞬間がないというのはさすがに盛りすぎていた
ということに。
 
すみません。
ちょっと面白くしたいがために、
やや少しばかり、いや、だいぶ盛大に、盛りすぎてしまいました。
この件に関しましては、心より、そしてマリアナ海溝よりも深く反省しております。(しつこい)
 
しかしですね。
他にももっと彼が変人エピソードも、
彼が優しいエピソードもいろいろとあります。
ですが、本当に、思ったことは、
会えないとか連絡がないとか放置が過ぎる=愛情がないという判断はあくまでわたし基準であって、
彼は多分、「彼基準」の中で考えてくれてはいるのだろうということです。
多分、「優しさや愛情にも色々な形があるのだな」、
ということに、今更ながら(30歳です)気付いたような気がします。
遅い。
けど、気付けてよかった。
 
彼はとても優しい人です。
彼に「わたしの嫌いなところは?」と聞くと
「重いところ(笑顔)」
と言うけど。
 
そんな人と付き合えて、諦めずに生きてきてよかったなって、おもいます。
ネズミーランドに行きたい」
と言おうとしても、
「ネz・・・」
くらいまで言ったところで相当食い気味に
「嫌だ(真顔)」
と言われるけど。
 
優・・・し・・・?
いや、うん、優しいです。
 
世の中にはたくさんの人がおり、
優しさ、そして愛情の形には、
その人の数だけ、たくさんの種類が、あるのです・・・・・・
 
(o˘◡˘o)

悟りのすすめ。

 

こんにちは、いつきです。
 
最近お客さまや、まさかという方から、
「ブログを読んでいます」
と言っていただくことが増えました。
 
まさか、予期せぬところで案外読まれているものなのですね。
 
ありがたや、ですね。
 
 
ブログをやろうという心意気はあれど更新頻度が完全にペースダウンしているこのブログですが、
なぜ書けないでいたかというと、
親にばれたとか単純に仕事が忙しいとかいろいろ理由はあるのですが、
簡単に説明すると、
恋愛感情がほぼ死滅している彼氏ができた
というのが一番の理由になります。
 
別に彼氏とずっといちゃいちゃいちゃいちゃしているから更新できなかったわけではなくて、
わたしは彼氏に「こいつ、ちょっとおかしいな」と思われるのはいいのですが、(いいのかよ)(いいんです)
彼氏の周囲の人に、
「あの人、ちょっと変人なのでは・・・???」
と思われるのがかわいそうなので、
つい、筆がおそろかになってしまっておりました。
 
でもですね、
「そもそもなぜこのブログを始めたのか?」
というところに立ち返ると、
「両親が新興宗教信者のせいで極貧大家族で神社に暮らし、かつ兄は知的障害持ちで本人は難病持ち」
という、
「ちょっと小説や漫画のキャラにするにも設定を盛りすぎだろう」
な感じの自分の生い立ちを、
「どう考えても面白いし、同じような境遇のひとの励みになれれば最高
と思って始めたわけなのです。
 
実際更新をするようになってすぐに、
色々な方から「わたしもじつは・・・」と言っていただく機会がたくさんありました。
 
なので、
「ちょっとあの人変人なのでは・・・???」
と思われてしまうことに関しては、
彼氏には大変大変申し訳ないのですが、
そこはなんとか、ぐぐっと飲み込んでいただいて、
わたしは更新を続けていきたいなと。
思っているんです。
 
 目標は、いつか
わたしも貧乏すぎて神社で暮らしていました!」というメールをもらうことです。(真顔)
 
ということで、
今後もブログは更新していきたいと思っておりますので、
よろしければお付き合いくださいね。
 
 
 
・・・で、更新できなかった理由を完全に彼氏のせいにしてしまったところで、
「その彼氏はどんなひとなのか?」
というのを説明させていただくと、
お仕事好きで頑張り屋さんで優しいのですが、
前述のとおり「ほぼ恋愛感情が死滅している」という特徴を持っています。
 
ほぼ。
死滅。
 
よく、恋愛に対して淡白なことを、
「ドライ」
という表現をするかと思うのですが、
彼氏に当てはめた場合、
「ドライすぎて粉になりやがて風に吹かれてなくなってしまうのでは・・・??」
と心配するくらいにはドライです。
全日本恋愛ドライ人間選手権
があれば間違いなくダントツで優勝レベルのドライさを持ち合わせています。
そしてちょっと、というかだいぶ変人です。
 
変人かつドライエピソードをいくつかご紹介させていただきますね。
 
・その1、「アイドルすぎて付き合えない」と言われた
付き合うことになったきっかけは、
周囲のお世話になっている方たちにお膳立てして頂いた感じなのですが、
彼と二人きりにされたり、
一応連絡を取り合ってみたりしても一向に話が進まない。
どうなっているのか?と確認したところ、
「付き合いたいとは思っているのですが、いつきさんがアイドルすぎて付き合えないので、ちょっと待ってください」
と真顔で彼は言いました。
 
あ、アイドルすぎて・・・?????
 
意味不明すぎて固まるいつき。
真顔の彼
 
だって、聞いたことありますか?
「アイドルすぎて付き合えない」と言われた話。
 
そこから数ヶ月、わたしは彼の「ちょっと待ってください期間」に翻弄されることになります。
俗に言うキープというやつですね。
わたしはあみんばりに待ったので、
友達とはこの期間のことを「あみん期間」と呼んでいました。
 
・その2、「彼女に会うのは月に一度でいい」と言い張る
彼くらいドライになると、
彼女に会うのは月に一度でいいそうです。
つ、月に一度・・・??
同じ市内に住んでいるのに・・・???
遠距離カップルか、
もしくは親戚、という感じになってきますよね。
一年付き合っても12回しか会えない彼氏。
それは果たして彼氏なのか。
彼女に会いたいと思うことがあまりない(真顔)」とも言っていましたからね。
彼氏とは一体なんなのか?
いると思えばいるし、いないと思えばいないのか?
悟りの境地に入れそうですね。
 
・その3、そもそも連絡がない
キープ期間もそうでしたが、
基本的にほぼ連絡がありません。
してもほぼ返ってこないし、
電話しても出ないし、ほとんど掛け直してもこない。
彼氏とは一体なんだったのか・・・??
また一つ悟りを開けそうになっていきますね。
 
・その4、わたしのことを好きなんだな、と感じる瞬間がない
自分を好きでいてくれる人と一緒にいると、
普通は何らかの形での愛情表現があり、
「ああ、この人はわたしのことが好きなんだな」
と感じられるものだと思うのですが、
彼に関してはそれがほぼ皆無のため、
愛情を感じられる瞬間がありません。
わたし、人生で初めて、
「彼氏に好かれている気がしない」という言葉でGoogle検索しました。
そしたら案外同じ悩みを持つ女子はたくさんいるようで、
すぐに検索結果はたくさん出てきましたが、
そんなに彼氏に好かれている気がしない女子がたくさんいて、
日本、大丈夫かなって心配になりました。
 
・その5、わたしと会うより寝ていたい
常に多忙なこともあり、寝るのが好きすぎて、わたしと会うよりは俄然寝ていたいようです。
寝る>>>>>>(越えられない壁)>>>いつき
ということのようです。
付き合う前、
僕は寝すぎるところがあまり良くないところです
と言っていたことが思い起こされます。
どんな告白。
 
・その6、寝るのが好きすぎて誕生日デートの日も寝過ごす
わたしの誕生日プレゼントを買おう、
ということになっていたデートの日も彼は前日からずっと寝続けていて連絡がとれず、
わたしは連絡がとれるまで仕事をしていました。(実話です)
ちなみにその前日も本当はデートの予定でした。(実話です)
 
 
・・・さて、いかがだったでしょうか?
そもそも付き合っているのか?
という疑問が浮かんできましたか?
 
 
・・・そう、わたしのことに限らず、
付き合っているか、いないのか、
その恋人といて幸せか、不幸せかということは、
いつも全て、
答えはあなたの心の中にあるのです・・・・・・
 
 

(o˘◡˘o)

まっこのこと。

こんにちは、いつきです。
 
先日、わたしが経営するお店が一周年を迎えました。
(わたしは素敵なネイルのお店を自営してなんとか生計を立てております)
いやー、一年って。
本当に本当に、あっという間でですね。
 
なんかこう、この一年どんなことがあったか思い出そうとしても、
走馬灯のように色々浮かびはするのですが、
そのほとんどがいいこと、有難いことばかりで、
悪いことってほぼ、思い出せなかったんですよね。
(わたしの脳みその容量が少なすぎ説もあります)
 
それなりにプライベートで色々あったり色々あったりしましたが、
プライベートは生まれてから今までずっと色々あり続けているので、
この一年通常通りだった、といえばまあ通常通りだったんだと思います。
 
ありがとうお客さん、お仕事を下さる人、関わって下さるみなさん。
ありがとうありがとう・・・
そう思い続けて経った一年でした。
 
そんなこんなで一周年ということもあり、
最近、仕事に関するいろいろを考えることが多かったのですが。
わたしは大卒でうっかりブラック企業に就職する前も学生時代にいろいろなバイトをしており、
(レジ打ち、テレクラのサクラ、チャットレディ、コールセンター、ホステスなど)
(面白バイトがしたかったためまともなのが少なめですね)
ずっと極貧だったのでそもそもお金も好きでしたし、
働く、ということ自体も好きでした。
 
だって、働くとお金をもらえるうえ楽しいんですよ?
最高か!
ってなりますよね。
 
なので楽しいと思えない、退屈な仕事は続きませんでした。
学生時代にほんの数ヶ月、
店内に闇のオーラ漂うカラオケ&レンタルCD店でバイトしていた時は、
そのお店も色々変人揃いで特殊すぎて、
バイト初日なのに、数時間いただけで、
「私には向かないと思うので帰らせていただきます」
といきなり帰った人がいるくらいの、アレなお店だったのですが、
わたしには単純に仕事がルーティン過ぎて、そこは極端に向きませんでした。
カラオケ個室に防犯カメラがあり、室内の様子が見られるようになっていたので、
男女で入室し、明らかにカラオケをしに来ていない不適切な行為(内容はお察しください)があった場合には、
「ほう・・・」
と少しだけチラ見はしていましたけどね。
少しだけ。
本当に少しだけです。
 
おっと、話が逸れました。
今回はわたしの仕事観について書こうと思っていてですね。
 
学生の頃、まだ世の中のことなど何も知らず、世間知らずすぎたわたしは、
新卒でうっかり地元のブラック企業に入社してしまい、
同族企業というやつで、同族経営なんていい噂など聞かない構造なんですけど、
そのブラックぶりに、わたしは入社早々に相当心身ともにやられておりました。
劣悪な労働環境
アレすぎる社長一族、
アレすぎる上司、
アレすぎる先輩。
 
数々起こりくるあまりのブラック的出来事に、
まともな会社勤務の人にわたしのブラック会社のありえない話をしても、
「会社なのにそんなわけないだろハハハ」
と言って信じてすらもらえなかった記憶があります。
たとえば給料日に毎回社長室に「ありがとうございます」と言いに行くルールとか、
ボーナスの日に「すぐ辞めたらボーナス返すね」という誓約書を書かされるとかね。
めっちゃ面白いですけど実話ですからね。
 
長すぎる労働時間と休みのなさと意味不明な仕事とアレすぎる人間に疲れ果てていたわたしは、
春入社したにも関わらず、夏くらいにして既にやられており、
高校のお友達と開いた飲み会の席でも相当憔悴していました。
 
その飲み会で登場するのが「まっこ」になります。
まっこは高校時代のクラスメイトで、
ほぼギャルとオタクしかいなかったクラスの中で、
群を抜いてギャルでした。
とにかくすごくギャルだったし、金髪だったし、肌も黒かった。
スカート丈もとても短くて、もうルーズソックスも廃れ始めていた時代にルーズソックスでした。
でも細くてスタイルが良くておしゃれでめっちゃ面白くて、
そして何より自由でした。
中身がオタクのくせにオタクの輪に馴染めなかったわたしは、
チームギャルの近くにいたりもしたのですが、
わたしはまっこの自由度が大好きでした。
 
わたしは高校時代三年間ずっと学級委員をやるような、
メガネで黒髪で制服もきっちり着ているタイプでしたので、
まっこはわたしにとって憧れ的な感じでした。
いつどうやって仲良くなったのかあまり覚えていませんが、
高校時代のまっこの記憶は、
わたしをクラブに連れて行ってくれたりとか、
変顔とかわいい顔が半々で写ってるプリクラ帳を見せてくれたりとか、
一緒にカラオケしたりとか、
まあ授業中の記憶が全くありません。
果たして授業を受けてたのか、まっこは。
あ、体育の授業を受けてたことだけちょっと思い出しました。
 
そしてまっこは途中から高校生であるにも関わらず夜のバイトをはじめ、
きっかけは何だったか忘れましたが、途中で高校を退学しました。
 
そうして先ほどの、
わたしがブラック勤めで疲れ果てていた時の飲み会で久しぶりに会ったまっこは、
かなり立派なキャバ嬢に仕上がっていました。
当時のまっこが働いていたお店は、
「パンツ一枚で待機し、お客さんが来たら『いらっしゃいませ〜』と履いてたパンツを脱いでお客さんの頭に乗せる」
というお店でした。
衝撃を受けたわたしたちは、
「ていうことは接客中全裸じゃん!!恥ずかしくないの?!!」
と聞いたのですが、それに対してまっこは一言、

正直、慣れる

と言っていました。
 
ま っ こ ! ! ! ! ! ! ! 
 
って、なった。
 
そんなまっこや他の友達たちに、わたしは自分の会社のブラックぶりを話しながら、
かなり泣きそうになっていたのですが、
まっこはそんなわたしを「????」と不思議そうな顔で見ていました。
この先同じ仕事を続けていけるか分からない不安、
でも新卒ですぐ会社を辞めた人間が次に就職できる会社なんてないし、
でももう心身ともに限界、、、
ということを話していたと思うのですが、
それに対して
「ていうか・・・」
とまっこは言いました。
 
「今しかやりたいことやって遊べる時間なんてないのに、働いてるとか意味わかんなくない???
 
は、働いてるとか意味わかんない?!!?!?!!!?!
 
ま っ こ ! ! ! ! ! ! ! !(二回目)
 
学校を卒業したらそれ以降はずっと働き続けるものとしか考えていなかったわたしにとって、
そしてどうやって自分の経歴を守りつつ働き続けていけるかばかりを考えていたわたしにとって、
その一言はあまりにもあまりにも衝撃的でした。
衝撃的、すぎました。
衝撃的すぎて飲み会のその後のことを全く覚えていません。
 
真面目すぎたわたしの仕事観に対し、
まっこの一言がどでかい影響をもたらしてくれたことは間違いありません。
 
今のわたしにとっては、
どうなるかわからない先すぎることよりも、
「今」、がとっても大事です。
やりたいことは今しかやれないかもしれないのです。
わたしは仕事がやりたいことだから働きはするけど。
 
ありがとうまっこ。
まっこはわたしの中でレジェンド的女子です。
 
 
そんなまっこは今、コールセンターで正社員で働いています。
あのまっこが、正社員。
 
時は、流れる。
 
 
 

運動音痴と文化部

こんにちは、いつきです。

 

いつきは保育園のときに運動会の練習で、

障害物競走で跳び箱をとぶときに、

とぶのを失敗して顔面から地面に落ちて顔の左側半分がすべてかさぶたになったことがあるのですが、

それ以来運動全般が極端に苦手で、

小学校に上がる以前から生粋の文系女子としての性質を確立していました。

 

跳び箱から落ち、顔面で着地した瞬間からの記憶がなく、

次に記憶があるのは教室で手当されている様子で、

先生はひたすらあわあわして、

「女の子なのにお顔にずっと傷が残ったらどうしよう・・・」

「お母さんになんて説明しよう・・・」

と心配しきりだったのをすごく覚えています。

ですが、子どもの新陳代謝能力の高さは凄まじいので、

たしかそんなに経たずしてわたしの顔面のかさぶたは全て元どおりにはなったのですが、

跳び箱、および運動全般に対しての恐怖心、苦手意識はこの頃にしっかりがっつり培われ、

残念ながらいまでもその傷は少しも癒えていません。

跳び箱こわい。

運動、きらい。

 

そんな生粋文系女子いつきは、

小学校に上がってからは友達が極端にいなくて暇だったので、

小学校三年生から本を読む以外の時間は金管サークルに所属してトランペットを吹いていました。

毎朝、七時半とかから練習していました。

たぶん土日とかもけっこうな頻度で長時間の練習していたと思います。

あんなにも毎日早く起きていたのは、あの時が人生初めてで、そしてもう最後だとおもいます。

 

トランペットというとなんだか派手な印象があるとおもうのですが、

当時吹いていた曲目って、小学校の金管サークルだから

サザエさん

とかなんですよね。

それを一生懸命朝の7時半から練習していました。

もう一回言います、サザエさんを、です。

サザエさんのテーマ曲を、金管サークルでは朝の7時半から、必死に練習していたのです。

 

もう、途中から陽気なサザエさん曲を吹くのが嫌になったいつきは、

いつからか勝手にひとりで、かの有名な曲を耳コピで練習し始めました。

その曲とは、あの、あれの曲です。

天空の城ラピュタ』でパズーが朝に吹いている、

鳥とかワサワサッ、ってなるシーンにパズーが吹いているやつです。

あれ、吹けるようになるとすごく気持ちがいいんですよね。

なんかこう、「朝がきたー!!」って感じがするんですよね。

いつきが吹いてたのは特に朝でもなかったんですけどね。

 

ただ、音楽室(部じゃないので部室じゃなかった)で当時の練習曲目以外の曲は吹くのが憚られるので、

いつきは主にパズー曲(タイトルがわからないのでパズー曲と呼びます)

を練習する時は、神社内で練習していました。

「一軒家の人って家で練習できるからいいよね〜」

とかとマンション暮らしの子に言われたりしていたのですが、

うちは特に一軒家とかではなく神社でしたし、

勿論神社は木造で少しも防音性などない建物だったので、

道行く人はびっくりしていたんじゃないかなあっておもいます。

神社の中からパズー曲が聞こえてくるから。

「・・・一体なんなの・・・?」

ってなっていたんじゃないかっておもいます。

いま考えると。

神社内からトランペット音が聞こえてきたらふつう「何事?」ってなりますよね。

まあもしかしたらパズー曲に合わせてカラスくらいはワサワサ、って飛び立っていたかもしれないですね。

知らないですけどね。

 

そんな感じでいつきは小学校ではずっと金管サークルに所属していて、

運動にはまったく縁がなかったはずなのですが、

理由は全く覚えていないのですが、

何故か五年生のときに一年間だけクラブ活動でバドミントンクラブに所属していました。

なぜバドミントンだったのかは、本当に一ミリも思い出すことができません。

運動は苦手な筈だったのに何故だったのか。

いま思ってもいつきの人生七不思議に入るほどの不思議な選択です。

 

ですがやはり苦手といえど一年続けると、

他の未経験者の方よりは上手になるもののようで、

気付かぬうちに、ある程度のバドミントンスキルはいつきに培われていたみたいなんですよね。

それを思い知ったのははるか数年後、高校時代の体育の時間です。

体育の授業ではいつもなにもできない、

走ることをはじめとした運動全般が全くできないいつきは、

体育の先生の中では「いつき=超絶運動音痴」という認識がなされていたようなのですが(そしてそれはほぼ事実なのですが)、

それはある日、突如異変を見せることになります。

あるとき、授業でバドミントンをやることになったときのことです。

二人一組になり、試合をして勝ち負けを先生のところへ報告しに行くのですが、

先生はわたしが報告しに行く前から「いつきは負け」って思ってるんですけど、

なんなら試合前から成績表に多分「いつきは負け」って書いてたとおもうんですけど、

わたし、未経験者よりは勘があるから勝てちゃうんですよね。

試合が終わったら「わたしが勝ちました」って報告しに行くんですけど、

そしたら先生は

「え?お、おう」

と動揺しつつ答えて、何なら成績表にわたしが行く前から「負け」と書いてたのを書き直す、

くらいの感じだったのですが、

それが二度、三度と続けて「いつきが勝ちました」と報告しに行くものだから、

先生に真顔で

どうした?

と聞かれたのをとても覚えています。

結果、その日はシングルスではクラスで一番になりました。

体育の授業や運動に関することで一番になったのは、

あの時が最初で最後です。

先生は「いつきが一番」ということにものすごくびっくりしていましたが、

同じくらいわたしもびっくりしていました。

 

ただ、いつきはコミュニケーション能力がマイナスなので、

ダブルスではボロカスでした。

一試合目で負けました。

 

 

 

次回予告

「オタクと中二病と美術部」