初めてづくし。
こんにちは、いつきです。
おしりが痛くなりすぎて難病が発覚した話、その3です。
〜前回までのあらすじ〜
中学2年生のオタク女子いつきは、
おしりが痛くなりすぎて初めて行った肛門科で即手術を受け、
「ほぼクローン病だから検査してこい」と言われるが・・・・・・
ということで、
肛門科の先生にクローン病にくわしい病院を紹介され、
いつきはクローン病かどうかを調べるため、
ありとあらゆる検査を人生で初めて受けることになりました。
胃カメラ、大腸カメラ、バリウム造影検査、CT、MRI、エコー・・・
と、検査のフルコースでおなかの中を探られることに。
CTとかMRIとかエコーとかは全然、まったくもって辛くないのですが、
胃カメラと大腸カメラ、
そしてバリウムが死ぬほど辛いんですよね。
経験したことがある方ならお分かりかと思うのですが・・・
結構本気で割としんどいですよね、あれ。
ということで、
唐突ですが、ここでいつき的「しんどい検査ランキング」を発表したいと思います。
第3位、「胃カメラ」
胃カメラも、上位二つに比べればそんなにしんどくもないんですけど、
何が辛いって、あの検査前に麻酔をかけてる時が辛い。
麻酔のかけ方は病院によっても多少違うんでしょうけど、
わたしの場合は、
「上を向いたままアーンの状態で喉に麻酔のジェルを入れられ、
それを飲み込まずにそのまま15分くらい待つ」
という方法だったのですが、
まずジェルがものすごい苦い。
この時点でもう辛い。
そして喉のけっこう奥に入れてるので、
喉が生理的にそれを飲み込もうとしちゃうんですが、
もちろん飲んではいけないのでそれは我慢しなくてはいけないのでそれも辛い。
そして何より、
わたしは副鼻腔炎も患っていて、
上を向いていると鼻水が喉のほうに流れていってしまうので、
もう口でも鼻でも呼吸することができなくなり、
「苦っ!苦しっ!てか苦っ!苦しっ!息!呼吸!!死ぬ!!!苦っ!!!!!!」
っていうのが15分続くんです。
そしてそれに耐え抜いてやっと胃カメラ本番になるんですけど、
喉にカメラ入れられる時、
普通にめっちゃ痛いんですよ。
麻酔の!意味!!!
さっき死にかけた意味!!!!!!!
ってなりましたね。
でも検査自体は割とすぐ終わるので3位というところでしょうか。
第2位、「大腸カメラ」
大腸カメラの何が辛いって、
腸の中身をからっぽにするために、
まずい下剤を2リットル飲まないといけないというところが辛い。
そして飲んだら飲んだ分、
当然下から出てくるというところも辛い。
どんどん水がおしりから出てくる感になるんですよ。
思い出してください、ひどくおなかを下している日のことを。
おしりから水状のものが出続けたら、
普通のひとでもおしり、痛くなりますよね?
こちらはただでさえ、
先日おしりの手術を受けたばかりの繊細なおしりを持つ者ですからね。
これはもう、この時点で、かなりの地獄でした。
そして、この痛い部位にこれからカメラを入れるのかと思うと、
わたしは恐怖で震えました。
会いたくて震えることはないけど。
恐怖で、震えました。
そして腸の中がからっぽになると、
いよいよ大腸カメラ本番になるのですが、
おしりに穴の空いた紙パンツを穿かされ検査室に入り、
ベッドの上に横になり、やや眠くなる麻酔的な薬を打たれて検査が始まります。
この薬のおかげで意識がぼーっとするんですけど、
おしりにカメラが挿入されるときは、やはり
「うぎゃーー!!!!」
と叫ぶくらいに痛いわけです。
もうね、本当に、痛いわけです。
そして腸の中を見やすくするために、カメラが進むとともに、
腸の中に空気も入れて腸をパンパンに膨れさせるんですけど、
これが、
「腸が破裂する?!!?!!!??」
って思うくらいに空気を入れられるのでめっちゃ痛いんです。
もうおしりは痛いし、腸は破裂しそうで痛いし苦しいし、
しかも全然終わらないし、で、本当にすごく辛い。
そして検査が終わったあとは腸に入れられた空気でおなかが張りすぎているので、
おなら的なものを出し続けなければ苦しみが終わらないというところも地味に辛いところです。
ということで、大腸カメラは、第2位、ですね。
そしてしんどい検査ランキング、堂々の第1位は・・・
「小腸造影バリウム検査」
です。
簡単に説明すると、
「クローン病は小腸が狭くなっているところがあるからそれをバリウムを飲んで外からカメラで見るよ!」
という検査です。
バリウム、飲んだこと、ありますか?
わたしはあれを思い出すだけで吐き気がし、
食欲がなくなり、ダイエットに効果をもたらすほどに、
とにかく大嫌いです。
見た目的には白くて、不透明で、ちょっととろみもあって、
濃すぎる生クリームみたいな質感の液体なんですけど、
そして香りも人工的につけてあるんですけど、
一口飲んだだけで脳みそが
「これは人間の飲むものじゃない!死ぬぞ!!!」
という指令を発してきて飲むのを体が拒否するんです。
でも飲まないと検査が進まないから泣きながら飲むわけじゃないですか。
それで検査台みたいなのに乗っかって、
色々な角度にされてごろごろ滑りながら体勢を変えたり、
台から出てきた棒でおなかを押されたり(これが痛い)しながら検査を受けてたんですけど、
検査の係りの人に、
「バリウムが下っていくのが早すぎてみたいとこが見れなかったからもっかいバリウム飲んでくれる?」
って、言われたんですよ。
さっき!
あんなに泣きながら!飲んだのに?!??!?!
ってなって、
わたしはもうバリウムで気持ち悪いし、
検査でおなか押されて痛いし、
痛いし気持ち悪いしでもう飲みたくないよ!!!
ってなっていたので、「いやだ!」というようなことを言ったとおもうんですけど、
そしたら
「うんうん嫌だよね、じゃあ胃まで管を入れるからそっからバリウム流すね」
ということになって、
よくわからないうちに口から胃まで管を入れられることになったんです。
管、って言ってもあれですよ、
全然細くないですからね。
子ども用のプールを膨らませるとき、
使う道具あるじゃないですか。
あれの、ポンプとプールをつなぐやつくらいの太さの管を、
いつきは口から挿入することになったんです。
そしてあれですよ、胃カメラのときと違ってノー麻酔ですからね、
喉に入れようとしても、喉の反射でおえっ、おえってなって、
もうこの時点で涙目なわけです。
なんとかかんとかおえおえっとなりながらも管を飲み込んで飲み込んで胃まで到達させて、
そしてそれからバリウムを流し込むんですけど、
どうやらうまいこといかなかったみたいで、
「じゃあこのままちょっと待っててくださいねー」
と言われて、
わたしは暗い検査室の中でひとり、待たされることになったのです。
暗いし寒いし気持ち悪いしお腹も痛い。
喉にある管のせいでずっとおえっおえってなる反射が止まらない。
その反射が出るたび、涙が出る。
検査の係りの人は「ちょっと」と言ったのに、
全然戻ってきてくれず、
わたしはどのくらい長い間その検査室にひとりでいたのかわかりませんが、
わたしはあまりに辛くて検査台の上で泣いていました。
その涙は、吐きそうになる反射のせいだけではありませんでした。
わたしは暗い検査室の中で、
どうしてこんなことになっているんだろうと考えていました。
いまは同級生の子たちは学校で授業を受けているはずの時間。
それなのにわたしはどうしておしりが痛くなって、手術をして、
難病かもしれないと言われて、
こんなに苦しい検査をしているんだろう。
先生はクローン病ほぼ間違いないって言ってたな、
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
わたしは何か悪いことをしたかな。
わたしがいい子じゃなかったからいけなかったのかな。
考えても思い当たらず、わたしはからだの苦しさと不安も相まって、涙が止まりませんでした。
そしてどれだけの時間が経ったかわからないくらいの長い時間のあと、
「はいじゃあ検査を再開しますー」
と突然言われ、何事もなかったみたいに検査は再開され、
また色々な体勢でおなかをぐいぐい押されてわたしは結構本気で死ぬかと思いました。
検査が終わったあとにはドラクエで言うところのHPが赤くなるくらいには瀕死でしたね。
いまならスライムと戦っても死んじゃう、ってくらいのあれです。
わたしが検査室から出たとき、これから同じ検査をすると思われる、
既に瀕死のおばあちゃんがいたんですが、
あのおばあちゃんは検査を最後まで受けられたのか、未だに気がかりです。
そしてそんな検査のフルコースを終え、
いつきはやはり
「クローン病で、間違いないね!」
と、難病宣告を受けることになりました。
クローン病とのお付き合い編は、また次回に。
クローン人間とかではない方のクローン。
お尻が痛くなりすぎて難病が発覚した話
こんにちは、いつきです。
タイトルの通り、おしりが痛くなりすぎて難病が発覚した時の話です。
わたしは元々、思い出せる限りの幼い頃から、
胃腸が極端に弱い子どもでした。
焼き肉とか脂肪分の多い食事を食べたらお腹を下すひとはそこそこいるのではないかとおもいますが、
わたしは麦茶とか牛乳とかを一気のみするだけでおなかを下すレベルでした。
どんなお腹。
弱すぎですよね。
胃腸の弱い山根くんもびっくりの弱さ。
なので、自分がいつの間にかうっかり難病になっていたときも、
最初は全く気がつかなかったのです。
そう、お尻が痛くなりすぎるまでは。
当時わたしは14歳で、中学二年生で、
オタクばかりが集う美術部で、
美術室で部活動と称してオタク活動をしたり、
主に雑談をしたりしていました。
授業中の記憶は殆どなくて、
思春期真っ盛りの女子は、普通なら、
神社に住んでいるという恥ずかしいことは学友たちにはバレたくないものだと思うのですが、
中学校の道路を挟んで隣が神社だったため、
隠すということはほぼほぼ、というか完全確実に無理な状況でした。
なので「いつき神社」と呼ばれていじめられていました。
わたしは神社ではないのに!
そんな日々の中、わたしはある日、
突如としてお尻に違和感を覚え始めます。
「あれ?なんか、腫れてて、痛いような気がする・・・?」
と。
しかし、そこはオタクとはいえども、思春期真っ盛り女子。
「お尻に異変だ-!」
などとは、やっぱり簡単には人に言い出せませんよね。
そこで、一応思春期真っ盛りだったいつきは、
とりあえず、
ひたすら我慢する、
という選択をします。
そうするとですね。
当然なんですけど、どんどんお尻の異変部位が、腫れ上がっていくのです。
ちょっと、ここからはもう少し詳しく説明しないと分からないですよね。
お尻お尻、と言っていますが、
腫れ上がりはじめたのはお尻ほっぺたの部分ではなく、
お尻の穴的な部位のあたりです。
ちょっとリアルな話題でいつきのアイドルイメージを崩すといけないので、
かわいいお尻のイメージ画像を置いていきますね。
おしり。(画像はイメージです。)
「もしかしたら明日には良くなっているかもしれない・・・今日さえ、今日さえ耐え抜けば・・・」
と、毎日毎日、
どんどん腫れ上がり続けるお尻の腫れ物の痛みと闘い続けるいつき。
その部位は日に日に確実に悪化していき、
かなりの熱を持ち、明らかに中に膿が溜まっている感じがわかるようになります。
できもの特有の、「放って置いたら破裂して中身が出て楽になりそうな感」もあることはあるのですが、
我慢出来ないからつついてみようか??いやでも怖いから待とうか??!いや、しかしでも??!!?!????
と正常に考えられないほどの痛みが日夜を問わず、襲い続けるのです。
ダイレクトに。
いつきの。
お尻を。
おしり。(画像はイメージです。)
我慢に我慢を重ねてもみましたが、
放っておいたらそのうち破裂して楽になるのかもしれないけど、
でもその前にわたしはお尻の痛みで発狂してしまうかもしれないな、
と、わたしは割と本気で思いました。
そして、
「お尻が痛くて発狂した人として名を馳せるのは嫌だ」
と思ったわたしは、そうしてついに腹をくくり、
親に告げることにしたのです。
「お尻が腫れ上がって、どえらいことになっているようだ」
と。
この頃にはもうあまりの痛みに、
家では常時うつ伏せの体勢でしかいられなかったと記憶しています。
普通に座るなどということは、
いつ爆発してもおかしくない爆弾をお尻に抱えたいつきにはもう不可能でした。
しかしそれだけの我慢を重ね、
決死の覚悟で親に告げたというのに、
母親のリアクションは、
「ほっといたらよくなるんじゃない?」
という劇的に薄いものでした。
「アホ!相当ほっといたけど全く良くなってないから言っとるんじゃ!!」
というようなことを言い続け、
やっとこ母は仕方なしに病院を探してくれました。
お尻の。
病院を。
肛門科、
という響きって、もうこれ以上ないくらいに恥ずかしい科な訳です、14歳女子にとってみれば。
わたし、まさか自分が14歳にして肛門科の病院の扉をくぐるとは思っていませんでしたよ、
思ってる人もあまりいないでしょうけど。
そしてついに母が探し出してくれた病院に辿り着き、
待合室に入ると、わたしは思わず待合室にいる人たちをこっそり隅から隅まで眺めてしまいました。
「ここにいる人たちはみんな、もれなくお尻に爆弾を抱えているのか・・・」
と思うと、もう相手が老若男女関係なく、
握手を交わしたい気持ちになったのをとても覚えています。
初めて会ったのに仲間意識。
戦友の感じがしましたね。(一方的に)
そして長いこと待たされ診察室に入ると、
衝撃的なポーズでベッドの上で待つことを指示されます。
下半身の衣服と下着を全て膝まで下ろして、
お尻を突き出して「く」の字のようにして待つのです。
先生が来るまでは腰にバスタオルをかけておいてもらえはするんですけど、
この体勢は恥ずかしい、のレベルを超越していました。
そして先生がやってきて簡単にわたしをお尻を診察し、
「はいちょっと痛いですよー」
と言って、わたしは何が起こるか察知するまえに、お尻の穴にぐいっと指を入れられていました。
「うぎゃー!!!」
とリアルに言った気がするくらいの激痛で、
「いきなりなにをするんじゃ!!」
と涙目になりながら思っていたら、先生はさらりと言いました。
「これは痔瘻だね。手術します。」
と。
しゅ・・・じゅつ・・・?????
いつきは初めて行った肛門科で、
いきなり人生初めての手術をすることになりました。
長くなってしまったので、
はじめてのお尻手術体験記は次回に続きます。
お詫びと訂正
こんにちは、いつきです。
悟りのすすめ。
(o˘◡˘o)
まっこのこと。
「正直、慣れる」
運動音痴と文化部
こんにちは、いつきです。
いつきは保育園のときに運動会の練習で、
障害物競走で跳び箱をとぶときに、
とぶのを失敗して顔面から地面に落ちて顔の左側半分がすべてかさぶたになったことがあるのですが、
それ以来運動全般が極端に苦手で、
小学校に上がる以前から生粋の文系女子としての性質を確立していました。
跳び箱から落ち、顔面で着地した瞬間からの記憶がなく、
次に記憶があるのは教室で手当されている様子で、
先生はひたすらあわあわして、
「女の子なのにお顔にずっと傷が残ったらどうしよう・・・」
「お母さんになんて説明しよう・・・」
と心配しきりだったのをすごく覚えています。
ですが、子どもの新陳代謝能力の高さは凄まじいので、
たしかそんなに経たずしてわたしの顔面のかさぶたは全て元どおりにはなったのですが、
跳び箱、および運動全般に対しての恐怖心、苦手意識はこの頃にしっかりがっつり培われ、
残念ながらいまでもその傷は少しも癒えていません。
跳び箱こわい。
運動、きらい。
そんな生粋文系女子いつきは、
小学校に上がってからは友達が極端にいなくて暇だったので、
小学校三年生から本を読む以外の時間は金管サークルに所属してトランペットを吹いていました。
毎朝、七時半とかから練習していました。
たぶん土日とかもけっこうな頻度で長時間の練習していたと思います。
あんなにも毎日早く起きていたのは、あの時が人生初めてで、そしてもう最後だとおもいます。
トランペットというとなんだか派手な印象があるとおもうのですが、
当時吹いていた曲目って、小学校の金管サークルだから
「サザエさん」
とかなんですよね。
それを一生懸命朝の7時半から練習していました。
もう一回言います、サザエさんを、です。
サザエさんのテーマ曲を、金管サークルでは朝の7時半から、必死に練習していたのです。
もう、途中から陽気なサザエさん曲を吹くのが嫌になったいつきは、
いつからか勝手にひとりで、かの有名な曲を耳コピで練習し始めました。
その曲とは、あの、あれの曲です。
『天空の城ラピュタ』でパズーが朝に吹いている、
鳥とかワサワサッ、ってなるシーンにパズーが吹いているやつです。
あれ、吹けるようになるとすごく気持ちがいいんですよね。
なんかこう、「朝がきたー!!」って感じがするんですよね。
いつきが吹いてたのは特に朝でもなかったんですけどね。
ただ、音楽室(部じゃないので部室じゃなかった)で当時の練習曲目以外の曲は吹くのが憚られるので、
いつきは主にパズー曲(タイトルがわからないのでパズー曲と呼びます)
を練習する時は、神社内で練習していました。
「一軒家の人って家で練習できるからいいよね〜」
とかとマンション暮らしの子に言われたりしていたのですが、
うちは特に一軒家とかではなく神社でしたし、
勿論神社は木造で少しも防音性などない建物だったので、
道行く人はびっくりしていたんじゃないかなあっておもいます。
神社の中からパズー曲が聞こえてくるから。
「・・・一体なんなの・・・?」
ってなっていたんじゃないかっておもいます。
いま考えると。
神社内からトランペット音が聞こえてきたらふつう「何事?」ってなりますよね。
まあもしかしたらパズー曲に合わせてカラスくらいはワサワサ、って飛び立っていたかもしれないですね。
知らないですけどね。
そんな感じでいつきは小学校ではずっと金管サークルに所属していて、
運動にはまったく縁がなかったはずなのですが、
理由は全く覚えていないのですが、
何故か五年生のときに一年間だけクラブ活動でバドミントンクラブに所属していました。
なぜバドミントンだったのかは、本当に一ミリも思い出すことができません。
運動は苦手な筈だったのに何故だったのか。
いま思ってもいつきの人生七不思議に入るほどの不思議な選択です。
ですがやはり苦手といえど一年続けると、
他の未経験者の方よりは上手になるもののようで、
気付かぬうちに、ある程度のバドミントンスキルはいつきに培われていたみたいなんですよね。
それを思い知ったのははるか数年後、高校時代の体育の時間です。
体育の授業ではいつもなにもできない、
走ることをはじめとした運動全般が全くできないいつきは、
体育の先生の中では「いつき=超絶運動音痴」という認識がなされていたようなのですが(そしてそれはほぼ事実なのですが)、
それはある日、突如異変を見せることになります。
あるとき、授業でバドミントンをやることになったときのことです。
二人一組になり、試合をして勝ち負けを先生のところへ報告しに行くのですが、
先生はわたしが報告しに行く前から「いつきは負け」って思ってるんですけど、
なんなら試合前から成績表に多分「いつきは負け」って書いてたとおもうんですけど、
わたし、未経験者よりは勘があるから勝てちゃうんですよね。
試合が終わったら「わたしが勝ちました」って報告しに行くんですけど、
そしたら先生は
「え?お、おう」
と動揺しつつ答えて、何なら成績表にわたしが行く前から「負け」と書いてたのを書き直す、
くらいの感じだったのですが、
それが二度、三度と続けて「いつきが勝ちました」と報告しに行くものだから、
先生に真顔で
「どうした?」
と聞かれたのをとても覚えています。
結果、その日はシングルスではクラスで一番になりました。
体育の授業や運動に関することで一番になったのは、
あの時が最初で最後です。
先生は「いつきが一番」ということにものすごくびっくりしていましたが、
同じくらいわたしもびっくりしていました。
ただ、いつきはコミュニケーション能力がマイナスなので、
ダブルスではボロカスでした。
一試合目で負けました。
次回予告
「オタクと中二病と美術部」