半目日記

早く全目になりたい

悟りのすすめ。

 

こんにちは、いつきです。
 
最近お客さまや、まさかという方から、
「ブログを読んでいます」
と言っていただくことが増えました。
 
まさか、予期せぬところで案外読まれているものなのですね。
 
ありがたや、ですね。
 
 
ブログをやろうという心意気はあれど更新頻度が完全にペースダウンしているこのブログですが、
なぜ書けないでいたかというと、
親にばれたとか単純に仕事が忙しいとかいろいろ理由はあるのですが、
簡単に説明すると、
恋愛感情がほぼ死滅している彼氏ができた
というのが一番の理由になります。
 
別に彼氏とずっといちゃいちゃいちゃいちゃしているから更新できなかったわけではなくて、
わたしは彼氏に「こいつ、ちょっとおかしいな」と思われるのはいいのですが、(いいのかよ)(いいんです)
彼氏の周囲の人に、
「あの人、ちょっと変人なのでは・・・???」
と思われるのがかわいそうなので、
つい、筆がおそろかになってしまっておりました。
 
でもですね、
「そもそもなぜこのブログを始めたのか?」
というところに立ち返ると、
「両親が新興宗教信者のせいで極貧大家族で神社に暮らし、かつ兄は知的障害持ちで本人は難病持ち」
という、
「ちょっと小説や漫画のキャラにするにも設定を盛りすぎだろう」
な感じの自分の生い立ちを、
「どう考えても面白いし、同じような境遇のひとの励みになれれば最高
と思って始めたわけなのです。
 
実際更新をするようになってすぐに、
色々な方から「わたしもじつは・・・」と言っていただく機会がたくさんありました。
 
なので、
「ちょっとあの人変人なのでは・・・???」
と思われてしまうことに関しては、
彼氏には大変大変申し訳ないのですが、
そこはなんとか、ぐぐっと飲み込んでいただいて、
わたしは更新を続けていきたいなと。
思っているんです。
 
 目標は、いつか
わたしも貧乏すぎて神社で暮らしていました!」というメールをもらうことです。(真顔)
 
ということで、
今後もブログは更新していきたいと思っておりますので、
よろしければお付き合いくださいね。
 
 
 
・・・で、更新できなかった理由を完全に彼氏のせいにしてしまったところで、
「その彼氏はどんなひとなのか?」
というのを説明させていただくと、
お仕事好きで頑張り屋さんで優しいのですが、
前述のとおり「ほぼ恋愛感情が死滅している」という特徴を持っています。
 
ほぼ。
死滅。
 
よく、恋愛に対して淡白なことを、
「ドライ」
という表現をするかと思うのですが、
彼氏に当てはめた場合、
「ドライすぎて粉になりやがて風に吹かれてなくなってしまうのでは・・・??」
と心配するくらいにはドライです。
全日本恋愛ドライ人間選手権
があれば間違いなくダントツで優勝レベルのドライさを持ち合わせています。
そしてちょっと、というかだいぶ変人です。
 
変人かつドライエピソードをいくつかご紹介させていただきますね。
 
・その1、「アイドルすぎて付き合えない」と言われた
付き合うことになったきっかけは、
周囲のお世話になっている方たちにお膳立てして頂いた感じなのですが、
彼と二人きりにされたり、
一応連絡を取り合ってみたりしても一向に話が進まない。
どうなっているのか?と確認したところ、
「付き合いたいとは思っているのですが、いつきさんがアイドルすぎて付き合えないので、ちょっと待ってください」
と真顔で彼は言いました。
 
あ、アイドルすぎて・・・?????
 
意味不明すぎて固まるいつき。
真顔の彼
 
だって、聞いたことありますか?
「アイドルすぎて付き合えない」と言われた話。
 
そこから数ヶ月、わたしは彼の「ちょっと待ってください期間」に翻弄されることになります。
俗に言うキープというやつですね。
わたしはあみんばりに待ったので、
友達とはこの期間のことを「あみん期間」と呼んでいました。
 
・その2、「彼女に会うのは月に一度でいい」と言い張る
彼くらいドライになると、
彼女に会うのは月に一度でいいそうです。
つ、月に一度・・・??
同じ市内に住んでいるのに・・・???
遠距離カップルか、
もしくは親戚、という感じになってきますよね。
一年付き合っても12回しか会えない彼氏。
それは果たして彼氏なのか。
彼女に会いたいと思うことがあまりない(真顔)」とも言っていましたからね。
彼氏とは一体なんなのか?
いると思えばいるし、いないと思えばいないのか?
悟りの境地に入れそうですね。
 
・その3、そもそも連絡がない
キープ期間もそうでしたが、
基本的にほぼ連絡がありません。
してもほぼ返ってこないし、
電話しても出ないし、ほとんど掛け直してもこない。
彼氏とは一体なんだったのか・・・??
また一つ悟りを開けそうになっていきますね。
 
・その4、わたしのことを好きなんだな、と感じる瞬間がない
自分を好きでいてくれる人と一緒にいると、
普通は何らかの形での愛情表現があり、
「ああ、この人はわたしのことが好きなんだな」
と感じられるものだと思うのですが、
彼に関してはそれがほぼ皆無のため、
愛情を感じられる瞬間がありません。
わたし、人生で初めて、
「彼氏に好かれている気がしない」という言葉でGoogle検索しました。
そしたら案外同じ悩みを持つ女子はたくさんいるようで、
すぐに検索結果はたくさん出てきましたが、
そんなに彼氏に好かれている気がしない女子がたくさんいて、
日本、大丈夫かなって心配になりました。
 
・その5、わたしと会うより寝ていたい
常に多忙なこともあり、寝るのが好きすぎて、わたしと会うよりは俄然寝ていたいようです。
寝る>>>>>>(越えられない壁)>>>いつき
ということのようです。
付き合う前、
僕は寝すぎるところがあまり良くないところです
と言っていたことが思い起こされます。
どんな告白。
 
・その6、寝るのが好きすぎて誕生日デートの日も寝過ごす
わたしの誕生日プレゼントを買おう、
ということになっていたデートの日も彼は前日からずっと寝続けていて連絡がとれず、
わたしは連絡がとれるまで仕事をしていました。(実話です)
ちなみにその前日も本当はデートの予定でした。(実話です)
 
 
・・・さて、いかがだったでしょうか?
そもそも付き合っているのか?
という疑問が浮かんできましたか?
 
 
・・・そう、わたしのことに限らず、
付き合っているか、いないのか、
その恋人といて幸せか、不幸せかということは、
いつも全て、
答えはあなたの心の中にあるのです・・・・・・
 
 

(o˘◡˘o)

まっこのこと。

こんにちは、いつきです。
 
先日、わたしが経営するお店が一周年を迎えました。
(わたしは素敵なネイルのお店を自営してなんとか生計を立てております)
いやー、一年って。
本当に本当に、あっという間でですね。
 
なんかこう、この一年どんなことがあったか思い出そうとしても、
走馬灯のように色々浮かびはするのですが、
そのほとんどがいいこと、有難いことばかりで、
悪いことってほぼ、思い出せなかったんですよね。
(わたしの脳みその容量が少なすぎ説もあります)
 
それなりにプライベートで色々あったり色々あったりしましたが、
プライベートは生まれてから今までずっと色々あり続けているので、
この一年通常通りだった、といえばまあ通常通りだったんだと思います。
 
ありがとうお客さん、お仕事を下さる人、関わって下さるみなさん。
ありがとうありがとう・・・
そう思い続けて経った一年でした。
 
そんなこんなで一周年ということもあり、
最近、仕事に関するいろいろを考えることが多かったのですが。
わたしは大卒でうっかりブラック企業に就職する前も学生時代にいろいろなバイトをしており、
(レジ打ち、テレクラのサクラ、チャットレディ、コールセンター、ホステスなど)
(面白バイトがしたかったためまともなのが少なめですね)
ずっと極貧だったのでそもそもお金も好きでしたし、
働く、ということ自体も好きでした。
 
だって、働くとお金をもらえるうえ楽しいんですよ?
最高か!
ってなりますよね。
 
なので楽しいと思えない、退屈な仕事は続きませんでした。
学生時代にほんの数ヶ月、
店内に闇のオーラ漂うカラオケ&レンタルCD店でバイトしていた時は、
そのお店も色々変人揃いで特殊すぎて、
バイト初日なのに、数時間いただけで、
「私には向かないと思うので帰らせていただきます」
といきなり帰った人がいるくらいの、アレなお店だったのですが、
わたしには単純に仕事がルーティン過ぎて、そこは極端に向きませんでした。
カラオケ個室に防犯カメラがあり、室内の様子が見られるようになっていたので、
男女で入室し、明らかにカラオケをしに来ていない不適切な行為(内容はお察しください)があった場合には、
「ほう・・・」
と少しだけチラ見はしていましたけどね。
少しだけ。
本当に少しだけです。
 
おっと、話が逸れました。
今回はわたしの仕事観について書こうと思っていてですね。
 
学生の頃、まだ世の中のことなど何も知らず、世間知らずすぎたわたしは、
新卒でうっかり地元のブラック企業に入社してしまい、
同族企業というやつで、同族経営なんていい噂など聞かない構造なんですけど、
そのブラックぶりに、わたしは入社早々に相当心身ともにやられておりました。
劣悪な労働環境
アレすぎる社長一族、
アレすぎる上司、
アレすぎる先輩。
 
数々起こりくるあまりのブラック的出来事に、
まともな会社勤務の人にわたしのブラック会社のありえない話をしても、
「会社なのにそんなわけないだろハハハ」
と言って信じてすらもらえなかった記憶があります。
たとえば給料日に毎回社長室に「ありがとうございます」と言いに行くルールとか、
ボーナスの日に「すぐ辞めたらボーナス返すね」という誓約書を書かされるとかね。
めっちゃ面白いですけど実話ですからね。
 
長すぎる労働時間と休みのなさと意味不明な仕事とアレすぎる人間に疲れ果てていたわたしは、
春入社したにも関わらず、夏くらいにして既にやられており、
高校のお友達と開いた飲み会の席でも相当憔悴していました。
 
その飲み会で登場するのが「まっこ」になります。
まっこは高校時代のクラスメイトで、
ほぼギャルとオタクしかいなかったクラスの中で、
群を抜いてギャルでした。
とにかくすごくギャルだったし、金髪だったし、肌も黒かった。
スカート丈もとても短くて、もうルーズソックスも廃れ始めていた時代にルーズソックスでした。
でも細くてスタイルが良くておしゃれでめっちゃ面白くて、
そして何より自由でした。
中身がオタクのくせにオタクの輪に馴染めなかったわたしは、
チームギャルの近くにいたりもしたのですが、
わたしはまっこの自由度が大好きでした。
 
わたしは高校時代三年間ずっと学級委員をやるような、
メガネで黒髪で制服もきっちり着ているタイプでしたので、
まっこはわたしにとって憧れ的な感じでした。
いつどうやって仲良くなったのかあまり覚えていませんが、
高校時代のまっこの記憶は、
わたしをクラブに連れて行ってくれたりとか、
変顔とかわいい顔が半々で写ってるプリクラ帳を見せてくれたりとか、
一緒にカラオケしたりとか、
まあ授業中の記憶が全くありません。
果たして授業を受けてたのか、まっこは。
あ、体育の授業を受けてたことだけちょっと思い出しました。
 
そしてまっこは途中から高校生であるにも関わらず夜のバイトをはじめ、
きっかけは何だったか忘れましたが、途中で高校を退学しました。
 
そうして先ほどの、
わたしがブラック勤めで疲れ果てていた時の飲み会で久しぶりに会ったまっこは、
かなり立派なキャバ嬢に仕上がっていました。
当時のまっこが働いていたお店は、
「パンツ一枚で待機し、お客さんが来たら『いらっしゃいませ〜』と履いてたパンツを脱いでお客さんの頭に乗せる」
というお店でした。
衝撃を受けたわたしたちは、
「ていうことは接客中全裸じゃん!!恥ずかしくないの?!!」
と聞いたのですが、それに対してまっこは一言、

正直、慣れる

と言っていました。
 
ま っ こ ! ! ! ! ! ! ! 
 
って、なった。
 
そんなまっこや他の友達たちに、わたしは自分の会社のブラックぶりを話しながら、
かなり泣きそうになっていたのですが、
まっこはそんなわたしを「????」と不思議そうな顔で見ていました。
この先同じ仕事を続けていけるか分からない不安、
でも新卒ですぐ会社を辞めた人間が次に就職できる会社なんてないし、
でももう心身ともに限界、、、
ということを話していたと思うのですが、
それに対して
「ていうか・・・」
とまっこは言いました。
 
「今しかやりたいことやって遊べる時間なんてないのに、働いてるとか意味わかんなくない???
 
は、働いてるとか意味わかんない?!!?!?!!!?!
 
ま っ こ ! ! ! ! ! ! ! !(二回目)
 
学校を卒業したらそれ以降はずっと働き続けるものとしか考えていなかったわたしにとって、
そしてどうやって自分の経歴を守りつつ働き続けていけるかばかりを考えていたわたしにとって、
その一言はあまりにもあまりにも衝撃的でした。
衝撃的、すぎました。
衝撃的すぎて飲み会のその後のことを全く覚えていません。
 
真面目すぎたわたしの仕事観に対し、
まっこの一言がどでかい影響をもたらしてくれたことは間違いありません。
 
今のわたしにとっては、
どうなるかわからない先すぎることよりも、
「今」、がとっても大事です。
やりたいことは今しかやれないかもしれないのです。
わたしは仕事がやりたいことだから働きはするけど。
 
ありがとうまっこ。
まっこはわたしの中でレジェンド的女子です。
 
 
そんなまっこは今、コールセンターで正社員で働いています。
あのまっこが、正社員。
 
時は、流れる。
 
 
 

運動音痴と文化部

こんにちは、いつきです。

 

いつきは保育園のときに運動会の練習で、

障害物競走で跳び箱をとぶときに、

とぶのを失敗して顔面から地面に落ちて顔の左側半分がすべてかさぶたになったことがあるのですが、

それ以来運動全般が極端に苦手で、

小学校に上がる以前から生粋の文系女子としての性質を確立していました。

 

跳び箱から落ち、顔面で着地した瞬間からの記憶がなく、

次に記憶があるのは教室で手当されている様子で、

先生はひたすらあわあわして、

「女の子なのにお顔にずっと傷が残ったらどうしよう・・・」

「お母さんになんて説明しよう・・・」

と心配しきりだったのをすごく覚えています。

ですが、子どもの新陳代謝能力の高さは凄まじいので、

たしかそんなに経たずしてわたしの顔面のかさぶたは全て元どおりにはなったのですが、

跳び箱、および運動全般に対しての恐怖心、苦手意識はこの頃にしっかりがっつり培われ、

残念ながらいまでもその傷は少しも癒えていません。

跳び箱こわい。

運動、きらい。

 

そんな生粋文系女子いつきは、

小学校に上がってからは友達が極端にいなくて暇だったので、

小学校三年生から本を読む以外の時間は金管サークルに所属してトランペットを吹いていました。

毎朝、七時半とかから練習していました。

たぶん土日とかもけっこうな頻度で長時間の練習していたと思います。

あんなにも毎日早く起きていたのは、あの時が人生初めてで、そしてもう最後だとおもいます。

 

トランペットというとなんだか派手な印象があるとおもうのですが、

当時吹いていた曲目って、小学校の金管サークルだから

サザエさん

とかなんですよね。

それを一生懸命朝の7時半から練習していました。

もう一回言います、サザエさんを、です。

サザエさんのテーマ曲を、金管サークルでは朝の7時半から、必死に練習していたのです。

 

もう、途中から陽気なサザエさん曲を吹くのが嫌になったいつきは、

いつからか勝手にひとりで、かの有名な曲を耳コピで練習し始めました。

その曲とは、あの、あれの曲です。

天空の城ラピュタ』でパズーが朝に吹いている、

鳥とかワサワサッ、ってなるシーンにパズーが吹いているやつです。

あれ、吹けるようになるとすごく気持ちがいいんですよね。

なんかこう、「朝がきたー!!」って感じがするんですよね。

いつきが吹いてたのは特に朝でもなかったんですけどね。

 

ただ、音楽室(部じゃないので部室じゃなかった)で当時の練習曲目以外の曲は吹くのが憚られるので、

いつきは主にパズー曲(タイトルがわからないのでパズー曲と呼びます)

を練習する時は、神社内で練習していました。

「一軒家の人って家で練習できるからいいよね〜」

とかとマンション暮らしの子に言われたりしていたのですが、

うちは特に一軒家とかではなく神社でしたし、

勿論神社は木造で少しも防音性などない建物だったので、

道行く人はびっくりしていたんじゃないかなあっておもいます。

神社の中からパズー曲が聞こえてくるから。

「・・・一体なんなの・・・?」

ってなっていたんじゃないかっておもいます。

いま考えると。

神社内からトランペット音が聞こえてきたらふつう「何事?」ってなりますよね。

まあもしかしたらパズー曲に合わせてカラスくらいはワサワサ、って飛び立っていたかもしれないですね。

知らないですけどね。

 

そんな感じでいつきは小学校ではずっと金管サークルに所属していて、

運動にはまったく縁がなかったはずなのですが、

理由は全く覚えていないのですが、

何故か五年生のときに一年間だけクラブ活動でバドミントンクラブに所属していました。

なぜバドミントンだったのかは、本当に一ミリも思い出すことができません。

運動は苦手な筈だったのに何故だったのか。

いま思ってもいつきの人生七不思議に入るほどの不思議な選択です。

 

ですがやはり苦手といえど一年続けると、

他の未経験者の方よりは上手になるもののようで、

気付かぬうちに、ある程度のバドミントンスキルはいつきに培われていたみたいなんですよね。

それを思い知ったのははるか数年後、高校時代の体育の時間です。

体育の授業ではいつもなにもできない、

走ることをはじめとした運動全般が全くできないいつきは、

体育の先生の中では「いつき=超絶運動音痴」という認識がなされていたようなのですが(そしてそれはほぼ事実なのですが)、

それはある日、突如異変を見せることになります。

あるとき、授業でバドミントンをやることになったときのことです。

二人一組になり、試合をして勝ち負けを先生のところへ報告しに行くのですが、

先生はわたしが報告しに行く前から「いつきは負け」って思ってるんですけど、

なんなら試合前から成績表に多分「いつきは負け」って書いてたとおもうんですけど、

わたし、未経験者よりは勘があるから勝てちゃうんですよね。

試合が終わったら「わたしが勝ちました」って報告しに行くんですけど、

そしたら先生は

「え?お、おう」

と動揺しつつ答えて、何なら成績表にわたしが行く前から「負け」と書いてたのを書き直す、

くらいの感じだったのですが、

それが二度、三度と続けて「いつきが勝ちました」と報告しに行くものだから、

先生に真顔で

どうした?

と聞かれたのをとても覚えています。

結果、その日はシングルスではクラスで一番になりました。

体育の授業や運動に関することで一番になったのは、

あの時が最初で最後です。

先生は「いつきが一番」ということにものすごくびっくりしていましたが、

同じくらいわたしもびっくりしていました。

 

ただ、いつきはコミュニケーション能力がマイナスなので、

ダブルスではボロカスでした。

一試合目で負けました。

 

 

 

次回予告

「オタクと中二病と美術部」 

わすれものと罰。

こんにちは、いつきです。

 

わたしが小学校四年生の頃、

担任の先生は「たなか先生」

という、女性の、

限りなく「はやく人間になりたい」といった感じの、

当時のわたしからしてみれば「おばあちゃん?」という雰囲気と、見た目のひとでした。

(母は「おいわさんにそっくりだね!」と言っていました)

 

たなか先生は悪い人ではなかったんでしょうけれど、

なにかと配慮のつもりが配慮になっていない人でした。

 

学校って、毎年クラス全員で学級写真とか、撮るじゃないですか。

そしてそれを教室に貼って、

買う人は横にチェックとかするようになってて。

誰が買って誰が買わないとかわかるようになってて。

当然いつき家は貧乏だからそんなのいちいち買わないわけですよ。

そしたらちょっとおだってる(調子乗ってる的な意)系男子が言うんですよね。

いつきが買ってない〜!

的なことを。

いつきは「頼むから黙ってて」とおもうものの、

本を読んでばかりで友達がいないわたしはコミュニケーション能力がマイナスなので、

そんなことを決して口に出すことは出来ないわけです。

そしたらたなか先生は言ってくれたんですよね。

それぞれのご家庭で事情があるから・・・

と。

 

いやいや暗に!

いつきは貧乏だって言ってる!

ていうかあんまり暗でもない!

ほぼ直接的に言ってるー!!!

となった結果、

おだってる系男子に

いつきんちは貧乏なんだ〜〜(ニヤニヤ)

とか追加で言われるわけです。

追い打ちです。

追いダメージです。

「うるさいなその通りだわ!!」

と心の中で死ぬほどおもっても言えないいつきは、

ひたすらうつむいて、本を読んで聞こえないふりをしていました。

ぜんぜん聞こえていましたけどね

 

そしてその同様のやりとりが、

なにかとたびたび起こるわけです。

家庭科の授業でつかう裁縫セットを買うときとか。

学校で斡旋されるやつは高いので、

母みちえがオリジナル裁縫セットを持たせてくれるんですけど、

そういうの(みんなと違う)って、やたらと目立つんですよね。

母が普通に使っている裁ちバサミとかを持たされていたので、

子どもの手にはでかすぎる上目立ちすぎる、という良くない点しかなかったです。

 

 

たなか先生は、先ほどにも書いたように、

「もう少しで人間」という感じの見た目だったのですが、

たなか先生がある日、いつもより人間から遠ざかっていた日がありました。

たなか先生が教室に入ってきた瞬間みんながザワザワして、

「なにかおかしい・・・」

「いつもより変だ・・・」

とみんなでたなか先生の顔をじっと見つめていたとき、

ある子が叫びました。

先生まゆげがない!!!!

と。

それだー!!

となった子どもたちは口々に「まゆげがない!変だ〜〜!!」

と騒ぎ立て、

たなか先生は

「ちょっと待ってて、30秒で戻るから」

と言ってダッシュで教室を後にしました。

30!29!28!27!26!25!

と、クラス全員が謎に一致団結して大声でカウントダウンをし、

たなか先生の帰りを待った思い出。

肝心な、たなか先生が30秒に間に合ったかどうかは覚えていないのですが、

眉毛を描いて戻って来たたなか先生は、

さっきよりはいくらか人間に近付いていたのを覚えています。

 

 

そして、たなか先生は、

なぜか「わすれもの」に対して異様な厳しさを見せる先生で、

わすれものをした授業では教室の後ろに立ったまま授業を受けさせる

という、まるで昭和のようなスタイルを貫く先生でした。

 

立ちっぱなしでの授業。

ノートなんてぜんぜんとれない。

ひとつでもわすれものをしようものなら、生徒が授業を受ける権利はガン無視。

 

体罰というにはちょっとライトな、

なんというか、「ソフト体罰」的なかんじでしょうかね。

きっと、

「立ったまま授業を受けたくなければ忘れ物をするなよ」

という、たなか先生なりの、

わすれもの対策だったんだとおもうんですけど、

わたし、

この頃ほぼ毎日教室の後ろに立ってたんですよね。

 

もちろん、決して立ちたいわけではないんですよ。

授業を受けたくないとかでもないんですよ。

何なら立つのが嫌だから前の日にかばんの中身をきちんとチェックするはずじゃないですか。

それなのに、わたし、ほとんど毎日立ってたんですよね。

 

一体これはどういうわけなんだろうとおもって、

わたしは不思議でたまらなくて、

毎日教室の後ろに立たされながら考えていたんですけど、

ぜんぜん理由がわからないんですよ。

立たされてる人って決してわたし一人だけではなくて、

ほかにも立たされてるひとがいたんですよね。

それも毎回。

ぜったいにわたしのほかにも誰かが立っていました。

いつきはそれまではほとんどわすれものなんてしたことがなくて、

四年生になり、担任がたなか先生になってから突然するようになったんですよね。

あまりにもずっと改善しないので、もう途中からいつきは、

「わたしは必ず一日に一つはわすれものをするという病なのかもしれない」

と本気で考えるほどに毎日わすれものをしては教室の後ろに立たされていました。

 

そして毎日のように立たされ続け、いつきが自分のわすれもの病を受け入れたころ。

五年生に上がって担任が変わり、

べつに忘れ物をしても立たせたりしない普通の先生に変わったとたん、

いつきは、

全くわすれものをしなくなりました

 

・・・あの、教室の後ろに立ち続けた一年間は一体なんだったのか。

 

立たされたくない、

きちんと授業を受けたいとおもっているはずなのに、

ついついわすれものをしてしまう。

 

頭ではよくないこと、とわかっているはずなのに、

ついわすれものをしてしまう。

頭ではわかっている筈なのに、

無意識下でつい良くない方を選んでしまう。

そういうことって、ありますよね。

わたしはこれを、

「たなか現象」

と呼んでいます。

 

いつきは、

誰かに何かをさせないために罰を与えても無意味、

ということを五年生で学習しました。

 

わたしが

「痩せなければ・・・痩せなければいけない・・・」

と思いながらもお菓子を食べるのを全くやめられないのも、

たなか現象だから仕方ないんだとおもいます。

 

誰からも罰を与えられることがなくなった今は、

ただただ自分のわがままの分だけ体重が増える

という残酷すぎる罰がわたしを襲うのみです。

 

 

ああおそろしや、

たなか現象・・・・・・

 

 

 

 

 

みちえという女。

こんにちは。いつきです。

 

いつきの母の話です。

 

わたしの母は、 

「高校の時の地理のテストで『フランス』と書けば満点だったところを、

 『ラランス』と書いてしまったせいで満点を逃した」

という話を何度目であっても初めてみたいに話す人です。

ラランスって、なんなんでしょうかね。

洋梨っぽいですね。

 

 

母の話と言っても、

皆さんそれぞれの家庭で「お母さん」というものについて、

ちょっとしたおもしろエピソードというのはあるものだとおもうので、

うちのみちえのエピソードなんて大したことはないかもしれないですが、

うちのみちえの話も、よろしければ読んでいってください。

 

 

みちえは上記「ラランス」の件からお分かりいただけるとおり、

ちょっとアレなかんじの、

よく言うと天然物なひとです。

 

 

直近の母のエピソードは、

年越しで実家に帰る際迎えに来てもらい、

「お酒を買ってきてって言われてるの!」

と母が言うので帰り道でセブンイレブンに立ち寄り、

お酒を選んでかごに入れ、

「わたし払うからいいよ」

とレジで言うと、

「じゃあお母さんナナコのポイントあるから!その残り払って!」

と言って、

母は店員さんがまだレジを打っている最中から、

お会計中ずっとnanacoカードをレジに押し当て続けていました。

タイミングが早すぎてnanacoカード側もびっくりしていたとおもいます。

店員さんも「え?今?」って顔してた。

みちえは今までずっとnanacoカードを使うときは会計中ずっとカードを押し当て続けてきたのでしょうか。

 

 

そんな感じでみちえには、

「なぜ・・・??」

ということがとてもとても、たくさんあります。

 

 

四年ほどまえ、

みちえは突如としてインターネットを覚え、

コンピューターおばあちゃんさながら、

趣味がインターネット、となりました。

ネットをはじめてすぐの頃、

みちえは「わたし、わかっちゃった」みたいな顔で、

「ねえ・・・『yahoo!JAPAN』があるってことは、『yahoo!世界』もあるってこと?」

とドヤ顔でわたしに言ってきました。

 

・・・yahoo!世界。

 

どんな世界だよ!

とおもわずスタンダード突っ込みを入れたくなりますが、

みちえロジック的には、

「JAPANがあるんだから世界的なやつもあるってわたし気付いちゃった!!」

ということだったのでしょうが、

「世界」は国の名前じゃないし、

「世界」って英語じゃなくて日本語だし。

そんなドヤ顔されても突っ込みどころが多すぎて困るわ、と思いました。

『yahoo!世界』は、ないよ」

と答えた気がするのですが、

あったらみてみたいですね、

yahoo!世界

 

 

そんなみちえが主にネットを使用して何をしていたかというと、

妹のバスケ情報収集、自分の好きな着物のリサイクル品の買い物、そして、

ポイント収集サイトでのポイント集め

でした。

9割がポイント集めだったと思います。

だったというか、母はいまも熱心にポイントを集め続けています。

わたしには母の集めているポイントの仕組みはよくわかりませんが、

そのポイントで弟のお小遣い(Tポイント)は賄われているんだとおもいます。

どうやら毎日たくさん送られてくるメールに書かれたサイトに飛んで、

質問に答えたり、

自分の買い物したものを打ち込んだりしていたようなのですが、

母がパソコンに向かって質問に答えていたとき、

「ねえ、織田信長ってどこで死んだんだっけ?」

と家族に聞いて来て、妹に

一体どういうポイントなの?

と逆に聞かれていたのを思い出します。

 

母はポイント収集に熱心になりすぎて、

妹だったか弟だったかに、

妖怪ポイントババア

というひどいあだ名をつけられるほど毎日のポイント収集に余念がなかったのですが、

その妖怪ぶりを遺憾なく発揮していたのは、

みちえの父(わたしにとって祖父)が亡くなったときです。

長く入院していて、ボケもひどく、

いつどうなるかわからない状態がしばらく続いていた祖父。

亡くなったときは家族で母の故郷まで行って葬儀に参列して、

近くの母の弟宅まで戻ってきた、晩のこと。

疲れた様子の母は、力なく、叔父(母の弟)に言いました。

「ちょっと、パソコン借りていい?」

と。

一体こんな夜にパソコンで何をするのかしらと喪服のままで母の様子を眺めていると・・・

 

そう。

そうです。

 

母は、

借りたパソコンでポイント収集をスタートしたのです。

「ええええ〜〜〜!?!!」

と、わたしほか兄弟は絶叫しました。

あろうことか、

自分の父の葬儀の夜に、ですよ。

こんな晩にポイントためる人いる!??!

と妹に真顔で言われていた母。

マジで妖怪

とも言われていました。

 

本当にあった怖い話です。

 

 

 

そして、別になにもわかっていないくせに、

すぐドヤ顔でわかったふりをしたがるみちえは、

しょっちゅうわかりたがります。

わたしはその場にいなかったのですが、

弟(キャッサバの方)と妹、そして母で

借りぐらしのアリエッティ」を見ていた時のこと。

アリエッティは小人で、そこを大前提として話が進んでいくことは、

予告を見ても、

ストーリーのいちばん最初を見ても、

誰が見ても分かる筈なのですが、

物語ももう中盤、というところになって、

みちえは「お母さんわかっちゃった感」で、言ったそうです。

 

もしかしてこの子・・・・・・小さいんじゃない?

と。

 

 

ええええ〜〜!?!!??

と弟と妹はびっくりしまくり、

もうその後は妹曰く、

「それで全部ぶっ飛んでもうアリエッティどころじゃなくなった」

だそうです。

「まじでありえないッティ

とも言っていました。

皆さんもよろしければ使ってみてください、

まじでありえないッティ。

すごく語呂が悪い〜!

となることうけあいです。

 

 

さていかがでしたでしょうか、

最強母列伝「みちえ。」

文字でみてみるとけっこうやばい感じがしますが、

実際に会ってみてもけっこうやばいです。

ただ、やばさを補ってあまりあるほどかわいいです。

時々イラっとすることもありますがかわいいです。

正直わたしはみちえのかわいらしさがほしいですし、

いまだに父に「お母さんはかわいいなあ」と言われているのがすごくうらやましいです。

 

 

ふたりともかわいすぎるので、

いつか妹と母が二人だけで会話しているところを、

ネット配信したいとおもいました。

 

 

 

 

神社暮らしと初詣

こんにちは、いつきです。

 

もう気づけば今年も一月五日ですね。

世の中は仕事始めだったり、すっかりお正月タイミングを逃し切った感しかありませんが、

「神社に住んでいたとき初詣ってどうしていたんですか?

というせっかくありがたい質問をいただいたので書きたいとおもいます。

 

いつきは人生で二度しか初詣をしたことがありません。

(ちなみに人生二回目を今年してきました)

1度目は2年か3年前くらいで、

年越しの夜中に弟の彼女が「初詣に行こう!!!」と突然言い出して、

兄弟や弟彼女とその友達と、みんなで酔っ払って行ったのでほとんど覚えていません。

初めて行ったのがそのくらいの時期なので、

つまりいつきは神社生活を送っていたときには初詣をしたことは一度もない

ということになります。

 

なぜしなかったのか、というと、

(なぜしなかったのかというより、する理由がなかった、のほうが近い気もしますが)

しなかった理由はいくつかあるとおもうのですが、メインは

「ちょっと親が他宗教を信仰していたので初詣をするという習慣がなかった

というごくごくシンプルすぎる理由が主になります。

ほかの理由としてはやっぱり、

「住んでいるのにわざわざ詣でに行く意味があまりわからない」

とか、

「そもそもどのタイミングが『初』なのかもわからない

とか、

「普段崇めてもいないのに新年になったという理由だけで拝まれる神側の気持ち的にどうなの?『結局俺って元旦に拝まれるだけの都合のいい奴だよな・・・』ってならないの?」

とか、いろいろあったのですが、

今年行ってみて、なんかちゃんとした神社って厳か感があってすごくいいなっておもいました。

 

ちなみにいつき家は元旦には他宗教ながらも元旦行事?祭?があり、

歌ったり踊ったり楽器を演奏したりする祭りを集まって毎年やっていて、

そのあとにみんなで食べたり飲んだりしていたので、

それがいつき家にとっては初詣がわりというか、

「元旦感」「新年感」

を醸し出すのに一役二役買っていたのだとおもいます。

わたしは子どもの頃から「この世に神なんていない・・・」とおもっている子に育ったので、

その元旦の祭りもただただ眠いだけでしたので、

それが終わったあとに食べれるおせち(主にうま煮)だけを楽しみに頑張っていました。

 

 

ちなみに元旦って普通は子どもは楽しみにするじゃないですか、

おとなに「お年玉」ってやつをもらえるから。

 

いつき家にはそのシステム、なかったんですよね。

 

いつき家にない、というか、

ほかの親戚やおとなからもらえても後から全額親に没収される

という全米が涙するレベルの悲しいシステムが採用されていたので、

わたしは子どもなのに、後から親に没収されるから少しも嬉しくなんてないのに、

ほかの子ども同様、お年玉をおとなからもらったら、

ありがとう(笑顔)

と必ず言わなくてはいけないのがとても苦痛でした。

あの当時、子どもにしてぜったいにかなりの演技派でした。

「ありがとう感」、相当出せてたとおもいます。

「ありがたくないよあとからぜんぶとられるんだもんこんなの意味ない!!」

と泣かなかったわたしや弟はすごく偉かったのではないか、とさいきんおもいます。

 

ちなみに、お年玉は現金でもらえないかわりに、

「小学校の学年×千円」、

という金額までのおもちゃを買ってもらうことはできました。

でも、一年生で千円ですし、

六年生になっても六千円ですよ。

 

六 千 円 ・ ・ ・

 

スーファミのソフトだってもっとする時代に、

六 千 円 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

 

ほかの兄弟はそんな少額で何を買っていたのかあまり覚えていないのですが、

わたしはなにかと絵を描く系のおもちゃを買ってもらっていた覚えがあります。

もこもこペン(描いたあとにドライヤーで乾かすとモコモコ立体的になるペン)とか、

プリントゴッコ的なやつとか。

(なにせオタクでしたからね。)

 

そんな感じでいつき家にはクリスマスシステムもお年玉システムもないので、

いつきは冬休み明けに学校のみんなと

「クリスマスプレゼントなにもらった?」

とか、

「お年玉いくらだった?」

とかという会話をするのが、心の底から地獄のような時間でした。

本当に誰にも話しかけないでほしかった。

どっちももらってないよ〜☆

と言えるメンタルはまだ身についていなかったのです。

わかるでしょうか、

子どもが架空のクリスマスプレゼントを答えるきもちと、

架空のお年玉金額を答えるきもちが・・・

 

辛いことしか起こらない時期のため、

わたしはクリスマスを起点とした年末年始がずっと苦手で、

未だにそれを引きずっている感があります。

 

 

・・・しあわせな年末年始がほしい・・・(真顔)

 

 

・・・さて、悲しい話はこのくらいにして、

「初詣に来られる側」

の、神社内の話でもしましょうか・・・

 

 

次回

「神社内は町内会の人の忘年会会場

 

 

 

いつき家の年越し

こんにちは、いつきです。

 

あけましておめでとうございます。

2015年、残りもあと364日ですね。

昨年はわざわざブログをお読みいただきありがとうございました。

最近になり、元々知っている方はもとより、

全く知らない方にも直接お会いした際に

神社ブログ、読んでます

と言われることが多くなりました。

 

・・・神社ブログ。

 

決してブログを始めるときに神社押しでいこうというつもりはなかったのですが、

いつの間にか「神社ブログ」として定着しはじめているようです。

 

ブログのアクセス解析を見るのが趣味なのですが(基本的に根暗です)、

最近はGoogle検索やYahoo検索から来ている方が増えてきています

 

一体どんなワードで検索をかけてお越し頂いているのかまではわからないのですが、

いつき 神社

とか、

神社 ブログ

とかなのでしょうか。

(ちなみにいま試しに「いつき 神社」でgoogle検索をかけたところ、

 普通に1ページ目に出てきました)

インターネットって恐ろしいですね。

 

今年もたくさん更新していきたいと思いますので仕事に飽きた際や寝る前などにお読みいただければ幸いです。

2015年もいつきの人生に苦笑いでお付き合いくださればうれしいです。

よろしくお願いいたします。

 

 

さて、いつき家の年越しの話です。

北海道の家庭は大体みんなそうだとおもいますが、

いつき家は大晦日は決まって(いつき家的に)ごちそうを食べます。

大体は鍋とかお寿司とかオードブルとかがあります。

今回はわたしが仕事だったので家に到着したのが21時くらいだったのですが、

その時卓上に明らかにお寿司が入っていた容器があったのですが、

肝心の中身(お寿司)がひとつも見当たらず、

「ねえ、お寿司は?」

と聞いたところ、

妹に

「安心して、今年は納豆巻きだけだったから

と言われました。

「安心して」、の意味が全くわかりませんでしたので、

「え、じゃあその納豆巻きは?食べたいんだけど・・・」

と再度言うと、弟(タトゥーの方)に

ごめんな

と言われました。

わたしは「全部食べたならせめて容器を隠したらいいのに・・・」とおもいながら割り箸を噛みました。

木の味がしました。

 

いつき家は大体いつき一家七人と、タトゥーの弟の彼女(タトゥーあり)、

そのほか弟(タトゥーの方)の友人カップルがいたりして大層大所帯の年越しを過ごします。

テレビはついているのですが、

ほとんどがクロストークすぎてテレビは時々しか注目されることはありません。

ちなみに大晦日にメインで見ているのはガキの使いです。

 

8人も9人もひとがいると、

会話がひとつになることはなくあちこちで会話がなされまくっているので、

それはそれは大層やかましいです。

前に弟の友人が来た際に、

「札幌なのに田舎の家みたい

と評されたことがあったのですが、すごくよくわかる。

そのお友達は途中で普通に「うるせえな」って言っていましたからね。

わたしもそうおもう。

 

今年は母が「中島みゆきちゃんをみたい!!」と言っていて、

なんどもNHKにチャンネルが変わったりもしていました。

いつき一家は口が悪いので、

EXILEが映った瞬間

「あの服はなんなの?」

五円玉を意識したの?

とかと言われまくっていました。

多分だけど、五円玉を意識はしていないと思う。

関係ないですが紅白は椎名林檎さんが神的にかわいかったです。

 

そんなこんなで食べたり飲んだりしているうちにあっという間に24時になり、

「あけおめ!!」

とみんなで言いあい、

親はその時間で大抵寝てしまうのですが、

いつきとしては年越しはそこからが本番です。

 

これはなぜ生まれた習慣なのかもはや覚えていないのですが、

いつき家は「年越しをした瞬間近くのファミマにアイスを買いにいく」という、

他に聞いたことのない謎の習慣があります。

カウントダウンをして「あけおめことよろー!!」となったらすぐ、

みんなで上着を着込んでアイスを買いに行くのです。

この寒いのになぜわざわざアイスなのか、ちょっと意味がわからないですよね。

最近はみんなの年齢が上がってきたこともあり、

おしるこを欲するひとが現れたりもしているのですが、

基本アイスを買います。

そして元旦でめでたいからといって、けっこう値段を考えずに買います。

そのうちみんなの年齢が上がりきったらアイスを買いにいく習慣からおしるこを買いにいく習慣に変わるのでしょうか。

 

そしてアイスを買ってきてからは、

親が寝静まり、アイスを食べつつごちそうの残りをつまみつつ、

子どもだけのトークになるので、

いつきとしてはその時間が一番楽しい時間です。

今年は妹のことを中学時代からずっとプチストーキングし続けている「ゴリラ(あだ名)」から最近送られてきたメールの話と、

キャッサバの弟のお小遣いの支給方法の話でわたしはお腹いっぱいになりました。

 

ゴリラは本当にしつこく昔から妹にプチストーキングを続けているのですが、

どうしてあんなにも冷たくされ続けてもめげない心を持ち続けられるのでしょうか。

恋愛においてハートが豆腐すぎるわたしには信じられません。

わたしのハートの豆腐具合はすごいですからね。

決して木綿豆腐じゃないですからね。

絹豆腐ですからね。

まあわたしのハートの豆腐の種類はどうでもいいのですが、

ゴリラのすごいところは信じられないくらいつまらないメールを高頻度で送ってくるところです。

たとえば最近だと、

「きのうボーナス出た(笑)」

と送ってきたそうです。

妹はそのメールを見たとき、つまらなすぎて真顔だったと言います。

「ボーナス出たってわざわざ言うってことは何かプレゼントくれるのかなと思ったら、

 『洗剤の詰め合わせとかならあげれる』って言われたんだけどなんなのマジで無理」

と妹は言っていました。

 

洗剤の・・・

詰め合わせ・・・???

 

どうしてなんだ、ゴリラ。

どうして口説きたい女の子にボーナス出たアピールをしておきながら、

贈れるものの限界が洗剤の詰め合わせなんだ。

いや、でもおしゃれ洗剤ならばまだ、と思って妹に言ってみましたが、

「絶対おしゃれなやつとかではない」

と言いながら妹がゴリラの写真を見せてくれたのですが、

きょうだいと弟の彼女含めたみんなで

これは間違いなくゴリラだね

という結論に達したので、たぶんゴリラがくれると言っていたのはアタックとかのことなんだとおもいます。

バナナじゃないだけマシなのかもしれないですね。

 

そしてキャッサバの弟なのですが、

一年生のいまは学業専念のためアルバイトをしておらず、

(一年生の成績で学部が決まるというシステムなんだそうです)

いまはお小遣いで暮らしている状態なのですが、

そのお小遣いの支給方法が

Tポイント支給

なんだそうです。

母がお買い物したりなんだりで貯めたTポイントを毎月弟に支給するシステムらしいのですが、

毎月貯まるポイントが違うのでお小遣いの額が毎月違うと言っていました。

ていうか、

Tポイントって、お小遣いになり得るのか。

母はきょうだいから「妖怪ポイントババア」と呼ばれることもあるほどに、

日々のポイント集めに余念のないひとなのですが、

まさか弟のお小遣いまでポイントで賄っているとは思いませんでしたね。

さすが母。

母は、妹を産んだひとだけあって、

妹以上にレジェンドが多すぎるひとなので、

母の記事も近いうちに書こうと思います。

 

そしてそんなおしゃべりをしているうちに朝方になり、

わたしは元旦も仕事だったのでタクシーを呼んで帰ることにしたのですが、

自宅まで乗ってから財布がないことに気付き、(実家に忘れてきていました)

また実家まで戻って財布を取ってからまた自宅まで乗せてもらう・・・

という、時間もお金も最高に無駄にするツイてなさを新年早々に発揮しました。

大丈夫なのか、わたしの2015年。

 

そんなうっかりすぎるいつきですが、

今年も改めて、よろしくお願いいたします。

 

 

次回予告

神社生活と初詣